【本日の名言】友を得るに急なるなかれ 親友は自然に得るものなりby国木田独歩とはどんな意味・解釈・教訓は?

友を得るに急なるなかれ 親友は自然に得るものなり

【本日の名言】「友を得るに急(きゅう)なるなかれ 親友は自然に得るものなり」とは明治時代の詩人・小説家であった国木田独歩(くにきだどっぽ)による『病牀録(びょうしょうろく)』に出てくる言葉であるが、その意味・解釈・教訓とは?わずか36歳で生涯を終えた国木田独歩とはどんな人物だったのか?何をした人物なのか?




【本日の名言】「友を得るに急なるなかれ 親友は自然に得るものなり」の意味・解釈・教訓とは?

この言葉の出典明治期の小説家・詩人 国木田独歩(くにきだどっぽ)による『病牀録(病床録)』に出てくる言葉である。

友を得るに急(きゅう)なるなかれ
親友は自然に得(え)るものなり

この意味や教訓とは、
友人、友達、親友を作るために焦ることはない。急いで作ろうとしてできるものではないし
急ぎ、焦って友を作ろうとするのは不自然極まりない。そのような不自然さはむしろ逆効果で、余計に真の友達というものはできなくなってしまう・・・親友というものはごく自然の流れによって得るものなのだ

自然体の時の自分に寄り添ってくれる、友達でいてくれる人こと親友なのだ。

国木田独歩はこうもいっている。

新しき友を探してまわるものは
ついに真の友を得る時なけん

友達を探してまで新しく作ろうとするような人は最終的には
真の友人、親友を得ることはないだろう。

国木田独歩のその他の名言

読書を廃す、これ自殺なり

富と功名!これ実に誘惑なり。吾(われ)は日々この誘惑に出会う

男女相愛にして肉欲に至るは自然である。
肉交なき恋は事実にあらずして空想なり。

人はどんな場合に居ても常に楽しい心を持ってその仕事をすることが出来れば、
即ちその人は真の幸福な人といい得る




国木田独歩(くにきだどっぽ)とはどんな人物?

国木田独歩(クニキダドッポ)
幼名は亀吉、のちに改名して本名は国木田哲夫(てつお)
別号(ペンネーム多数)孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生など

1871年千葉県銚子にて誕生〜1908年茅ヶ崎にて没(享年36歳)
明治時代の詩人・小説家・ジャーナリスト・編集者

国木田独歩は千葉県にて少々複雑ないきさつで生まれる。
幼少期から優秀で読書を好んだがイタズラ好きでもあったという。

(現代風に言えば不倫で出来た子という出生の秘密に思い悩み、人格形成に影響を与えたと言われている。)

東京専門学校を中退し、英語教師をしていた。
その後転職し、新聞記者として日清戦争に従軍『國民新聞』に連載された『愛弟通信』での文章が好評となった。

キリスト教を信仰し、洗礼を受け熱狂的なクリスチャンであった
1892年結婚するも、翌年には離婚

田山花袋や柳田國男などとも交流し
新体詩『独歩吟』『第二独歩吟』を発表し、ロマン主義詩人として出発

短編集『運命』で自然主義文学の先駆けとして高評価された

小説『武蔵野』『忘れ得ぬ人々』『牛肉と馬鈴薯』など
現在においても評価の高い作品を発表しつづけたが
プライベートでは失恋と貧困に苦しむ生活によって健康を害し結核に倒れ
わずか36歳にしてこの世を去った。

そのほか『酒中日記』『欺かざるの記』『春の鳥』など

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