【本日の名言】「女性の美は性格の中にある情熱の中にある」とは著名なフランスの彫刻家、『考える人』の作者でよく知られるロダンの言葉ですがこの台詞の背景にはどんなものがあったのか?ロダンとはどんな人物だったのか? 代表作として知られる『考える人』とはもともと考える人ではなくダンテだった?世界中に散らばる『考える人』は一体どれだけ(何体)あるのか?
目次
「女性の美は性格の中にあるのだ 情熱の中にあるのだ」とは?
美というものは決して外見(見た目)的なことではなく、内面的なものの中にこそ美があり
情熱の中にこそあるのが美である。といった意味のロダンの言葉である。
男女問わず確かによく言われることではありそれは確かに真理だとは思う。
外面だけをいくら磨いても、内面が美しい人や情熱的な人の美しさには叶わない・・・
とは思うが、でも結局に人の内側の性格の良さや情熱なんて目に見えないんだよなぁ。
内面だけ、性格だけが良いだけでは美しいとも言えず
ある程度の外見も磨く必要があるのもまた真理。
他にもロダンの名言にはこんなものがある
- 「美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認め得ないだけだ」
- 「現代人の欠点は、自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。
多くの人々が労働が必要悪の労役苦役と考えていることだ」 - 「天才?そんなものは決していない。ただ勉強だ。方法だ。絶えず計画をしているということだ」
ロダンってどんな人物?
『考える人』の作者として知られるロダンの本名は
François-Auguste-René Rodin(フランス語:)
フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンである。
ロダン Auguste Rodin(オーギュスト・ロダン)はフランスの彫刻家
である。
フランス・パリで1840年誕生〜1917年にムードンで没(享年77歳)
ロダンは
ベルギーやイタリアを外遊し、
単なる写実にとどまらず、ミケランジェロに傾倒し、
生命力と量感にあふれた作風の大家としてロダンは現代彫刻に大きな影響を与えた。
ロダンの代表的な作品には『青銅時代』『地獄の門』『カレーの市民』『バルザック像』『考える人』など がある。
有名芸術家ロダンは 実は3度も美術学校の入学に失敗していた
ロダンが初めて絵を描いたのは10歳の時、それから美術に興味を持ち、地元の小さな工芸学校に入る。
その後も美術の学業の継続を願い、塑像(そぞう)を作るが・・・・
実はロダンは美術学校の入学試験に3度も落第している 。
学校に入ることを諦めたロダンの青年期は室内装飾の職人として働きながら、ほぼ独学で彫刻を学んだ。
1864年に制作し、サロンに送った通称『鼻欠け男』(『鼻のつぶれた男』、『鼻が曲がった男』の首像)は自然主義的な作風が受け入れられずにサロンに落選している。
1875年〜ロダンは妻(ローズ)とのイタリア旅行でみたミケランジェロの彫刻作品に圧倒され、衝撃を受ける。
ミケランジェロに傾倒し、『青銅時代』を制作した。
『青銅時代』をサロンに送るも、的確すぎる描写力によって、モデルから直接型取りしたのでは?と疑われて落選・・・
ロダンの彫刻作品があまりにも細部までに緻密にリアルすぎたために疑われたのだ。
このことに発奮したロダンは、人間から型を取ったと疑われないために今度は、ロダンは普通の人間よりもかなり大きめサイズで彫刻作品を作って、型取り疑惑を晴らした。
そしてロダンの彫刻はついにサロンに認められ、賞賛され、ロダンは一躍、フランス中から注目の彫刻家となった。
実は『考える人』は『地獄の門』の一部だった!?
1880年に依頼された美術館の扉の彫刻作品が有名な『地獄の門』であるが、美術館側と構想の折り合いがつかずに契約解消となった。
しかし、ロダンは契約解消のとなったその後も『地獄の門』を作り続けたが、未完である。装飾美術博物館(Musée des Arts Décoratifs)の門として依頼されたもの。
現在はオルセー美術館にある『地獄の門』がそれである。
『地獄の門』とは13-14世紀イタリアの詩人、
ダンテ・アリギエーリの『神曲』という一大叙事詩の地獄篇第3歌に出てくる地獄への入口の門のことである。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の銘文でよく知られており、深い絶望をあらわす表現としてもよく用いられる。
このダンテの叙事詩『神曲』の『地獄の門』を覗き込むひとりの男の像がいわゆる『考える人』として知られるあの像である。
本妻と愛人の間で揺れ動くロダンこそが『考える人』だった?
今では『現代彫刻の父』とも呼ばれるロダンには愛人がいたことでも有名である。
フランスの劇作家、詩人、外交官でもあり、
外交官として日本にも駐在したことのあるポール・クローデルの姉のカミーユこそがロダンの助手でありモデルであり、愛人であった。
ロダンには24歳のときから連れそった妻のローズがいたが…
ダンテの『神曲』に登場する『地獄の門』の構想で悩んでいた時に、美しい若き教え子カミーユと出会い恋に落ちる。
妻ローズとカミーユの間、 妻と愛人の間で揺れ動くロダン。
結局ロダンは、妻ローズが病で倒れたことをきっかけに、妻ローズの元に戻った(逃げた)が、
ロダンの死の際での最後の言葉は
「パリに残した、若い方の妻(カミーユ)に会いたい」だったという。
ロダンが本妻ローズの元に去り、ローズを選んだことにショックを受けたカミーユは
その後、精神を病んで死ぬまで精神病院で過ごすことになった。
カミーユ・クローデルの悲恋とロダンについては映画や舞台など多く作品化された。
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『考える人』(かんがえるひと、フランス語: Le Penseur)
は、発表当初は
『考える人』ではなく『”Le Poète”(詩人)』と名づけられていたものである。
「考える人」の名称はロダンの死後、この作品を鋳造した鋳造職人のリュディエによって付けられたものであるといわれる(諸説あり)
ダンテの『神曲』に着想を得て制作し、それを『地獄の門』と名づけたが、この『考える人』はその門の頂上に置かれる一部分にあたり、
- 地獄の門の上で熟考するダンテを表そうとしたものであると言う説
- ロダン本人を表している説などがある。
世界中に散らばる『考える人』はいったい何人いるの?
世界中に散らばるロダンの『考える人』の像は、鋳造によって作られたものである。
鋳造(ちゅうぞう)とは?鋳造(ちゅうぞう、英: casting)は、材料(主に鉄・アルミ合金・銅・真鍮などの金属)を 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
日本およびアジアにある『考える人』
- 京都国立博物館 日本
- 国立西洋美術館 日本
- 長島美術館 日本
- 西山美術館 日本
- 静岡県立美術館 日本
- 亜洲大学 台湾
ヨーロッパにある『考える人』
- ラーケン墓地 ベルギー
- ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館 デンマーク
- ビーレフェルト美術館 ドイツ
- ザクセン連邦学校 ドイツ
- ロダン美術館 (パリ) フランス
- ムードン (フランス) フランス
- バチカン美術館 バチカン
- Saint-Paul de Vence イタリア
- Waldemarsudde スウェーデン
- プーシキン美術館 ロシア
- 旧国立美術館 (ベルリン) ドイツ
アメリカおよび南米大陸にある『考える人』
- ボルチモア美術館 アメリカ合衆国
- ワールドトレードセンター (ニューヨーク)(現在は行方不明) アメリカ合衆国
- クリーブランド美術館 アメリカ合衆国
- コロンビア大学 アメリカ合衆国
- デトロイト美術館 アメリカ合衆国
- ネルソン・アトキンス美術館 アメリカ合衆国
- ルイビル美術館 アメリカ合衆国
- ロダン美術館 (フィラデルフィア) アメリカ合衆国
- California Palace of the Legion of Honor アメリカ合衆国
- スタンフォード大学 アメリカ合衆国
- ノートン・サイモン美術館 アメリカ合衆国
- Soumaya美術館 メキシコ
- ブエノスアイレス(議事堂正面) アルゼンチン 位置
- リカルド・ブレンナンド研究所 ブラジル
- Lily Marinho collection ブラジル
- ナショナル・ギャラリー (ワシントン) アメリカ合衆国
日本では最も多くロダンの作品を見るならば、国立西洋美術館のロダンのコレクションがおすすめである。
ロダンに関連する書籍および映像作品など
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