【本日の名言】「自ら見るこれを明という」とは中国戦国時代の思想家・韓非(かんぴ)による著書『韓非子(かんぴし)』に出てくる言葉であるが、この意味・解釈・教訓とは?最後は服毒自殺を遂げた韓非とはどんな人物か?秦の始皇帝が感銘を受けた『韓非子』とはいったいなにか?
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目次
【本日の名言】「自ら見る これを明と謂う」の意味・解釈・教訓とは?
この言葉の出典は中国の戦国末期の思想家・韓非(かんぴ)による著書『韓非子(かんぴし)から 喩老(老子に喩う)』より
原文の漢文は
自見之謂明。
自ら見る、これを明と謂う
(みずからみる、これをめいという)
自分のことが分かることを明と謂う。
自分自身のことをしっかりと知っていることを明知(優れた知恵、英知)であるという
この言葉の意味は出典となった『韓非子』に出てくる文章の前後の文脈を知ることで意味がより深く理解できる文言である。
故知之難、不在見人、在自見。
故曰、「自見之謂明。」。
故に知の難きは,人を見るに在ず,自ら見るに在り。故に曰く「自ら見るを之、明と謂ふ」と。
知ることが難しいのは他人を見ることにあるのではなく、自分をみることにある。
そこでいう「自分で自分を見抜くことができること、これを明知と謂う」と。
一見、自分自身のことは自分一番知っている、と思うかもしれないが
他人のことはよく見え、他人を知ることはそう難しいことではない。
しかし、本当に自分を知ること、これは案外難しいものだ
自分自身のこととなると客観視できない人が多い
他者を見るのと同様に自分自身を見つめることができること、
自分で自分が見えること、これこそが賢明であり明知である。
韓非(かんぴ)とはどんな人物?『韓非子』ってなに?
韓非(かんぴ)
生年不詳〜BC(紀元前)233年頃没
中国の戦国時代の韓の公子・思想家・法家の大成者
韓非は生まれつき重度の吃音であり、幼少期はそれを揶揄されていたが、非常に文才に富んだ人物であった。
韓非はかつては旬子(じゅんし)に師事し学んだ
しばしば、書をもって韓王を諌めたが用いられず、
韓の弱体に発憤して法家思想を極め、『韓非子(かんぴし)』を著した
韓非の才能を恐れた李斯によって獄中で毒を送られて自殺。
『韓非子』とは韓非の敬称そのものであり
韓非および、その後学の著書。20巻55編から成るもの。
春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析ともいわれている。
法律・刑罰をもって政治の基礎であると説き
秦の始皇帝が感銘を受けたと伝えられる書物である。
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