【本日の名言】「負けて勝つ」とは江戸時代中期の浄瑠璃・歌舞伎脚本作者 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)による『傾城酒呑童子(けいせいさけのみどうじ)』に出てくる言葉であるが、その意味・解釈・教訓とは?名前は聞いたことあるけれど言われて見ればよく知らない近松門左衛門とはどんな人物?何をした人?
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
目次
【本日の名言】「負けて勝つ」の意味・解釈・教訓とは?
「負けて勝つ」という言葉の出典は
江戸時代の歌舞伎脚本家・近松門左衛門による『傾城酒呑童子(けいせいさけのみどうじ)』に出てくる言葉である。
『傾城酒呑童子』とは身分とは、不相応な贅沢な童子のわがまま遊興三昧の暮らしの様を描いた物語である。
ことわざや慣用句、いろはがるた(江戸版)でおなじみとなっている
「負けるが勝ち」の類似表現であり、同じ意味である。
負けて勝つ
とは、あえて争わずに相手に勝ちを譲った方が、結局は自分に有利な結果をもたらすことを意味する
その時は、一時的に負けたように見えても、物事全体の成り行きで見れば勝ちということであり
勝ちを譲ったところで、形勢的,結果的には自分が有利となることをいう
※「負ければ勝ち」とは言わないので注意。
近松門左衛門によるその他の名言にはこんなものも
大事を思い立つものが小事に拘る(かかわる)ことなかれ
大きな事業をやり遂げようという志をもつものが
目の前の細々したあまり重要でない事柄にこだわるべきではない。
稼ぎに追ひ(い)つく貧乏なし
常にまじめに働いていれば、貧乏することはない。
恋と哀れは種一つ
人を恋しいと思う気持ちとかわいそうと思う気持ちは、根本は同じだということ。
近松門左衛門とはどんな人物?
近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん)
本名 杉森信盛(すぎもりのぶもり)
別号:平安堂、巣林子(そうりんし)不移山人(ふいさんじん)など
1653年越前にて誕生〜1725年大坂にて没(享年72歳)
江戸時代前期の浄瑠璃作者・江戸中期の歌舞伎脚本作者
近松門左衛門は越前吉江藩士の父の元に生まれたが、父親が浪人となり上京(京都)
堂上(公家)貴族,一条家のもとに仕えた。
その後、浄瑠璃『出世是清』で
では竹本義太夫と提携し竹本座の座付き作者として活躍
歌舞伎では坂田藤十郎と組み元禄期を代表する歌舞伎作品を書いた
世話物浄瑠璃『曽根崎心中』で好評をはくして以降は浄瑠璃作品に専念し、多くの名作を残したことでも有名である。
近松門左衛門の「心中物」には定評があり、非常に人気があったが、
作品に影響され実際に心中してしまう人が続出してしまったことで幕府が「心中物」の上演を禁止するほどであった。
義理人情の葛藤を題材にしつつ人間の心の美しさを描く脚本を書いた。
近松門左衛門による作品は浄瑠璃作品が100以上、歌舞伎作品も30ほどあるとされている。
『出世是清』『国製『曽根崎心中』 『兼好法師物見車』『堀川波鼓』『碁盤太平記』
『冥途の飛脚』『嫗山姥』『大経師昔暦』『国性爺合戦』『平家女護島』『心中天網島』『女殺油地獄』
スポンサーリンク