【本日の名言】一日の命 万金よりも重し by吉田兼好(兼好法師)とはどんな意味・解釈・教訓は?

一日の命 万金よりも重し 兼好法師

【本日の名言】「一日の命 万金(まんきん)よりも重し」とは鎌倉末期の歌人・随筆家・兼好法師こと吉田兼好(けんこう)による『徒然草』の93段の「牛を売り買いするお話」に出てくる言葉だが、その意味・解釈・教訓とは?牛の人生、人の人生、命の価値とは?毎日を生きていることがもっと楽しくなる考え方をしていた吉田兼好とはどんな人物?




【本日の名言】「1日の命 万金よりも重し」の意味・解釈・教訓とは?

この言葉の出典
兼好法師(けんこうほうし)こと吉田兼好(よしだけんこう)による
『徒然草(つれづれぐさ)』第93段の『牛を売る者あり』という話より

一日の命、万金よりも重し。

文章通りの意味だと1日の命というものは多額の金銭よりも価値のあるものという意味であるが

出典の『徒然草』より『牛を売る者あり』話から簡単に解説していくと…

一日の命、万金よりも重しこれに続くのがこちら↓

牛の価鵞毛よりも軽し。(牛のあたい、がもうよりもかろし)
万金を得て一銭を失はん人、損ありといふべからず。

ちょっと難しい気がしてしまうが徒然草のこの話は、牛を売る人、買った人を通しての教訓、悟りのお話である。
ごくごく簡単に意訳していく

牛を売る人がいて、買う人がいた。
すでに、売買契約が成立した牛がいたが
牛の代金の支払いの前日の夜にその牛が急死してしまった。

この話を聞いた人が
「お金を払う前に牛が死んで、買い手が支払う前だったから買い手は得をしたね。しかし、売り手は大損したな!」と
牛の飼い主、売り手は損をしたという話をする人がいるが、

一見、牛の主(売り手)は損をしたように見えるが
売主は得をしたというのがこの話の主旨である。

それはなぜか、
命あるものは牛でも人でもいつ死んでもおかしくない
その「死」がその時、たまたまその牛にその日が来ただけのことで
牛の主(売り手)はその死を免れたわけで、牛の売値のようなお金では買うことのできない命がある。

売主は牛を失ったところでお金に変えられない売主自身の命はあるわけだから
「一日の命、万金よりも重し。」生きていることそのものが万金に変えがたい宝である。

予期せぬ死が訪れるのは牛に限らず人間も同様である。

予期せぬ死をまぬがれて、牛の飼い主は生きている=多額の金銭に勝る命を得ている
そして『生死の理(ことわり)』命あるものいつ死がくるのかは予期できないということを知ることができたのだから、損をしたなどとは言えない。むしろ得をした。というようなお話。

そしてこの話の最後の方にはこうある

人 死を憎まば生を愛すべし
存命の喜び 日々に楽しまざらんや

人が死を憎むのであれば、「生」生きていることをもっと愛すべきだ。
生きているという喜びを日々楽しまずしてよいものか。

人生、生きているだけで丸儲け。

考え方次第で毎日の生き方がちょっと豊かになる言葉でした。




吉田兼好(よしだけんこう)兼好法師とはどんな人物?

俗名(本名):卜部兼好(うらべかねよし)

1283年?〜1353年頃?(生年没年不詳)
鎌倉末期〜南北朝時代の歌人・随筆家・官人

兼好法師こと吉田兼好卜部(うらべ)氏という神道の家系。下級公家の家に生まれる

京都の吉田に住んでいたため吉田氏と称した
出家後は音読みで兼好(けんこう)となった

朝廷(後二条天皇)に出仕し、その間で豊富な知識を得た

歌人としての実力も朝廷に仕えることによって修練した

30歳前後に出家し兼好(けんこう)法師となる。

随筆文学の代表

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