
【本日の名言】「青春は短い 宝石の如くにしてそれを惜しめ」とは明治〜昭和期の劇作家・評論家であった倉田百三(くらたひゃくぞう/ももぞう)による著書『愛と認識との出発』に出てくる言葉であるが、その意味・解釈・教訓とは?愛と肉欲について赤裸々に書いたせいで一高を退学した倉田百三とはどんな人物だったのか?
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目次
【本日の名言】「青春は短い宝石の如くにしてそれを惜しめ」の意味・解釈・教訓とは?
この言葉の出典は日本の劇作家・倉田百三(くらたひゃくぞう)による『愛と認識との出発』より
善とは何か、真理とは何か、友情とは何か、恋愛とは何か、信仰とは何か―。自分自身が考え抜いたプロセスをそのままに記した著者20代の論考17篇を収録。刊行されるや、大正‐昭和の旧制高校生の間で「伝説的」愛読書となった。『出家とその弟子』とともに倉田百三(1891‐1943)の代表的著作。(Bookデータベースより)
青春は短い。
宝石の如(ごと)くにしてそれを惜しめ。
この言葉の続きはこうある
俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、
その想いを偉いならしめ、その夢を清らかしめよ。
夢見ることを止めた時、その人の青春は終わるのだ。
(読み方と意味)
・俗卑(ぞくひ、卑俗のこと、下品で低俗なこと)
・凡雑(はんざつ、煩雑、込み入っていてわずらわしいこと)
・低吝(ていりん 「吝か」=「やぶさか」欲深く、物惜しみするケチ)
・偉い(おおい)普通よりも優れているさま、立派な)
キラキラした『青春』と呼べる時期は短い。それは宝石のようにして惜しむべきものだ。
青春とは何か、青春とはいつのことをいうのか。
『青春』という言葉を辞書で引くと、人生の春に例えられる若い時代、青年期などとありますが
単純に年齢的に若いからといって『青春』がくるわけではないでしょう。
夢や希望を持って、それに夢中になっている時、それが青春=人生の春なのではないでしょうか?
それは、年齢の若さには関係なく、いくつ年を重ねたとしてもそのような時期を『青春』とよぶことができるでしょう。
ふと現実においつめられ、夢や希望・理想を追いかけることを止め、夢見ることを捨て去ってしまった時、青春は終わってしまう。キラキラした人生の春『青春』は振り返ってみれば一瞬だ。だからこそ青春は宝石のように貴重で価値のあるものなのだろう。
宝石なんかに興味はないし、ただ美しいだけの石に価値など見出せないわ、などという私のようなへそ曲がりもいるかもしれないが、宝石というのは物の例えで、青春は美しく希少でキラキラ輝いた時期なのだから大事にせよということだろう。
倉田百三によるその他の名言
若い時には、若い心で生きていくよりないのだ。
若さを振りかざして運命に向かうのだよ
誰しも一生に一度は恋をする。
人間の一生の旅の途中にある関所のようなものだよ
倉田百三(くらたひゃくぞう)とはどんな人物?
倉田百三(ひゃくぞう)または(ももぞう)とも読む。
1891年広島にて誕生〜1943年東京にて没 (享年52歳)
明治・大正〜昭和期の劇作家・評論家
倉田百三は広島県の呉服商の長男として生まれる。
成績は優秀で、中学を首席で卒業するも素行は悪かったという。
一高(第一高等学校のこと)への進学を願うも父親に家業を継げということで断られる。
交際中の女性との婚約するも、女性側の家庭の事情で婚約断念され
その件から意識を遠ざけようと、一高受験を許可された
一高に入学するも、在学中に文芸部の機関紙に寄稿した『愛と認識との出発』などに
真の宗教はセックスの中にあり、肉のたのしみ、セックスの魂の喜びなどどいう表現が不適切とされ
鉄拳制裁が課されることとなってしまうが
1913年に肺結核が発症したため、病によって一高を中退。
故郷に戻り、キリスト教を中心とした思索に耽る生活に入る
1916年から『白樺』の衛星誌である『生命の川』にて
戯曲『出家とその弟子』を掲載し一躍有名作家となる。
宗教文学に独自の境地を開き、大正期の宗教文学ブームの先駆けとなった
『俊寛』『布施太子の入山』など
代表作とも言える『愛と認識との出発』は青春の記念碑であり、青年たちに広く愛読書となった。
晩年は国家主義(日本主義)に傾き、機関紙の編集長となる
肋骨カリエスのため自宅で死去した。
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