【本日の名言】「平常心をもって一切のことをなす人 これを名人というなり」とは江戸初期の剣客・ 柳生宗矩(読み方:やぎゅうむねのり)が『兵法家伝書(へいほうかでんしょ)』に残した言葉だが、その意味とは?教訓・解釈は?一介の剣士から大名まで上り詰めた柳生宗矩とはどんな人物?
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
目次
「平常心をもって一切のことをなす人 これを名人というなり」
この言葉の出典は、江戸初期の剣豪・柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の残したもので徳川家の兵法指南役として活躍した柳生宗矩の書
『兵法家伝書(へいほうかでんしょ)』というものに書き記されている言葉である。
平常心をもって一切の事を成す人、是を名人と云ふなり
意味としては
真の名人(本当の名人)というものは全てのものごとにおいてつねに平常心をもってこなすことのできる人のことをいう
この名言の解釈と教訓は?
平常心とは「普段通りに平静、平穏である心のこと」をいう
なにかをなす、(実行する)には平常心、安定した精神力(安定したメンタル)がともなっていることが大事である。
人より何かに優れていようと、飛び抜けてセンスがあろうと
どんなに技術だけが優れていようと、それだけでは名人とは言えない
日頃の繰り返しの練習、鍛錬を積み重ねることで
いつでも平常心を保ちつづけ、どんなときでも平常心でものごとに望める力
常に平静を保ちつつ、実力を遺憾無く発揮することのできる人こそが
名人とよばれる人である。
たまたまいい点がとれた
たまたま試合に勝った・・・
これでは名人とは言わないのは当然
練習ではできたのに、本番ではうまくいかないなんてことはよくあるだろう。
何事においてもそういうことがあるもの。
もしも、人より抜きん出たことができるとしてもそれだけでは名人とはいえないだろう
日々の練習や訓練によって、身体に染み込ませるほど努力して初めて
常に平常心を保ち物事に望める実力を身につけることができる、それができてこそ初めて名人といえる。
『兵法家伝書』では、
精神鍛錬にばかり偏ってしまうと、今度は技術・技法面の方がおろそかになりがちであることにも警鐘をならし、技が身体に染み込んだ状態になるまで、繰り返して稽古(練習)をすることの重要性を説いている。
柳生宗矩のその他の名言
- 「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道をしりたり」
- 「一人の悪によりて万人苦しむことあり。しかるに、一人の悪を殺して万人を生かす。
是等誠に人を殺す刀は、人を生かすつるぎなるべきにや」 - 「兵法は人をきるとばかりおもふはひがごとなり。人を切るにはあらず悪を殺すなり。
(活人剣:不義、不正、迷いを切り捨て人を活かす剣の道)
柳生宗矩(やぎゅうむねのり)とはどんな人物?何をした人?
柳生宗矩(やぎゅうむねのり)通称名(幼名):又左衛門
1571年大和で誕生〜1646年江戸で没(享年75歳)
江戸時代初期の剣客剣術家・武将・大名・徳川家の兵法指南役
大和柳生藩初代藩主 柳生新陰流の創始者 柳生十兵衛の父
柳生宗矩は、剣客・柳生宗厳(やぎゅう むねよし・石舟斎)の息子として生まれた。
1594年に父の宗厳(むねよし)が徳川家康に謁見し、兵法師範として仕えるように請われたが
息子である宗矩を推挙したため、宗矩が召されて徳川家に仕える
関ヶ原の戦いや大坂の陣でも活躍し、次々に徳川家より石を与えられた。
柳生宗矩はこの時代の剣豪として名の知られている中ではなかなか例にみない大出世を遂げた人物である。
3代将軍となる徳川家光の兵法指南役となり
将軍秀忠、家光に新陰流の剣を教授する。
禅僧沢庵(たくあん)和尚とも交流し、柳生新陰流兵法の理論を体系化した
1629年に但馬守(たじまのかみ)に任ぜられる
ついには初代の幕府惣目付役(大目付)となった。
大和柳生藩を立藩し初代藩主、1万2,500石の大名という立身出世を遂げた。
ちなみに柳生十兵衛こと柳生 三厳(やぎゅう みつよし)は宗矩の子である。
柳生宗矩に関連する作品
[amazon_link asins=’4003302613,4087206408,4865437576,4569632548,4061950614,B009T7MKU8,B000R7HPZ4,4789921077,B016NXAGHY,4862208797′ template=’ProductCarousel’ store=’banbakusan-22′ marketplace=’JP’ link_id=’afbd6f25-0781-49a7-a1ac-c8f2fd020d85′]
スポンサーリンク
昨日の名言・明日の名言・毎日日々これ名言