【本日の名言】 「涙は悲しみの物いわぬことばである」 by ボルテールとは フランスの文学者・思想家 の ボルテール(ヴォルテール) による言葉だが、その意味・解釈・教訓とは?時の権力者を風刺する詩を書いてバスチーユに投獄されたり、逃亡生活を送ったこともある ヴォルテール(Voltaire)こと本名フランソワ=マリー・アルエとはどんな人物?そのほかの名言や関連する本などを紹介
目次
【本日の名言】 涙は悲しみの物いわぬことばである の意味・解釈・教訓とは?
この言葉の参考出典はボルテール(ヴォルテール)による『哲学辞典』 より
『哲学書簡 哲学辞典』人間の自由と幸福をはばむ一切のものに対する容赦なき闘い。
「涙は悲しみの物いわぬことばである」 の言葉の意味とは?
涙は悲しみの物いわぬことばである
「涙」とは、眼球の涙腺から分泌される液体のことである・・・と言ってしまえばそれまでだが、この「涙」というのは決して言葉を発しない、言葉を持たない物質、ただの液体だが、時に涙は物を語らないがそれゆえに言葉よりも雄弁である。
ボルテールの別の名言にこんなものがある。
男がありとあらゆる理屈を並べても、女の一滴の涙にはかなわない
悲しみを表すために、口でものを言ったり、文字を並べて書いてみたり、言葉をならべて表現するよりも『涙』によって表現される悲しみが時には言葉を凌駕することがあるだろう。
ボルテール(ヴォルテール) のその他の名言や関連本おすすめ
人は言うことがなくなると、必ず悪口を言う
歴史は自由な国においてのみ 真実に書かれうる
疑い深い人は、自ら招いて裏切られることになる
偏見は判断を持たない意見である
常識はそれほど一般的ではない
『寛容論』カトリックとプロテスタントの対立がつづくなか、実子殺しの容疑で父親が逮捕・処刑された「カラス事件」。狂信と差別意識の絡んだこの冤罪事件にたいし、ヴォルテールは被告の名誉回復のために奔走する。理性への信頼から寛容であることの意義、美徳を説いた最も現代的な歴史的名著。
『ヴォルテール回想録』「精神の革命」を主唱した18世紀ヨーロッパの「二人の王」、ヴォルテールとフリードリッヒ、—その愛憎半ばする交友関係を軸に、マリーア・テレージア、リシュリュー、ポンパドゥール夫人等、当代の代表的人物をも活写する一大ドラマ。
舌鋒が災いし、投獄を繰り返しながらも絶対的理性への信奉を貫いた行動する哲学者ヴォルテールによって、現代ヨーロッパの源泉がまざまざと蘇る。
『カンディード 他五篇』人を疑うことを知らぬ純真な若者カンディード。楽園のような故郷を追放され、苦難と災厄に満ちた社会へ放り出された彼がついに見つけた真理とは…。当時の社会・思想への痛烈な批判を、主人公の過酷な運命に託した啓蒙思想の巨人ヴォルテール(1694‐1778)の代表作。作者の世界観の変遷を跡づける5篇のコントを併収。
ボルテール(ヴォルテール)とはどんな人物?何をした人?
ヴォルテール(Voltaire)こと
本名フランソワ=マリー・アルエ(François-Marie Arouet)
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1694年フランス王国パリで誕生〜 1778年フランス王国パリにて没(享年83歳)
フランスの文学者・啓蒙思想家
ボルテール(ヴォルテール) に関するエピソードや人物像
パリに生まれ、イエズス会系の名門校ルイ・ル・グランに学んだ。
1717年、時の摂政オルレアン公を諷刺した詩を書いたかどでバスチーユに約1年投獄される。
その後、滞英見聞報告という装いのもとに、フランスの政治・宗教・哲学などを厳しく批判した『哲学書簡』を刊行するも直ちに発禁処分となり身の危険を感じて愛人シャトレ夫人とシレーへ逃亡、約10年間同地に滞在し学究生活を送った。
晩年はスイスとの国境に近いフェルネーに安住の地をみつけたかにみえた。
しかし78年、自作の悲劇『イレーヌ』の上演に立ち会うため、28年ぶりにパリに帰還、市民の熱狂的歓迎を受けたが、疲労から死去した。
生前の影響力は全ヨーロッパに及び、しばしば18世紀は「ヴォルテールの世紀」と呼ばれる