【本日の名言】「己を責めて人を責むるな」とは江戸幕府初代将軍・徳川家康による『遺訓(いくん/ゆいくん)』に出てくる言葉であるがその意味・解釈・教訓とは?そのほかに「怒りは敵と思え」など名言づくしの徳川家康が後世のために残した、その『遺訓』の内容や教えとは?
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目次
【本日の名言】「己を責めて人を責むるな」の意味・解釈・教訓とは?
この言葉の出典は江戸幕府初代将軍・徳川家康の『遺訓(いくん/ゆいくん:後世の人のために故人によって残された教えや戒め)』に出てくる言葉である。
己を責めて人を責むるな
読み方と意味は
己(おのれ)=自分自身のこと
を
責(せ)めて
人を責(せ)むるな
「責める」とは相手の過失や非行などを咎めたりなじったりすること。
この言葉は、
なにか自分にとって都合の悪いことが起きたとしても、その責任を人の過ちに対して求めるのではなく
自分自身の何が悪かったのかを反省し、よくよく考えてみなさい。
という意味である。
人は何か悪いことや自分にとって都合のよくないことが起きた場合に
他人の間違いや過ちに責任転嫁して、そのせいで悪いことが起きたと考えがちだがそうではなく、なにか自分にとって都合が悪いことが起きた際には、必ず自分自身の中にあった落ち度や過ちをよく考えて反省して、次に進もうという教えである。
徳川家康の『遺訓』にはまたこういう名言もある
怒りは敵と思え
この言葉は『怒り(いかり)』は自分の身を滅ぼすものであるからこれ(怒り)を慎むべきだという意味
自分自身は正しいのに、相手(他人)が悪い、相手だけに責任があると思うから「怒り」という感情が湧いてくる
怒りの感情に流され、その相手を嫌ってしまうことで、相手も自分のことを嫌うことになる。
それはすなわち、敵を作ってしまうのと同じこと。
自分だけを正当化し怒りに流されてしまえば、敵を作り結果的に自分を滅ぼしてしまうということ。
怒りの感情は可能な限りこらえ、怒りにまかせず正しい判断をすることが大事である。
徳川家康の『遺訓』の内容と意味とは?
人の一生は重荷を負て、遠き道を行くが如し。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害その身に至る。
己を責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
- 人の一生は重荷を負て、遠き道を行くが如し
人の一生は重い荷物を背負って遠く長い道のりを歩いていくようなものである - 急ぐべからず
いそいだり焦っりしてはいけない - 不自由を常と思えば不足なし。
不自由なこと(自由にならない)ことが当然であると思っておけば全てに満足できる - こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
胸のうちになにか願望が芽生えたのであれば、困り苦しんだ時のことを思い出すのだ - 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。
耐え忍ぶこと、怒りをこらえて許すことは平穏が長く続けられる基礎であり、
怒りは身を滅ぼしかねない敵であると思いなさい。 - 勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害その身に至る。
勝つことだけにこだわって、負けることを知らず(負けを受け入れられない)のであれば
その害は自分の身にふりかかるだろう - 己を責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
自分を責めて、他人を責めてはいけない。 足りないぐらいがやりすぎることよりも優れているものだ
徳川家康ってどんな人物?何をした人?
徳川家康 (松平元康)
幼名:竹千代 初名:元信、元康
院号:安国院 諡号:東照大権現
1542年誕生〜1616年没(享年75歳)
江戸幕府初代将軍
岡崎城主・松平広忠の長男として生まれる
人質として今川義元に属したのち織田信長と結び、ついで豊臣秀吉と親しみ、
1590年関八州に封じられて江戸城に入る
秀吉の死後、伏見城で執政(政治を執り行うこと)
1600年 関ヶ原の戦いで石田三成らを破った
1603年に征夷大将軍に任命され江戸幕府を開いた。
以降、徳川幕府260年余りの基礎を確立した日本の歴史上の大偉人である。