【本日の名言】「運命は神が考えたものだ 人間は人間らしく働けばそれで結構だ」とは明治・大正期の文豪・夏目漱石による新聞連載小説『虞美人草(ぐびじんそう)』に出てくる文言であるがその意味・解釈・教訓とは?知っているようで知らない夏目漱石とはどんな人物?代表作、その他の名言は?などについて
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目次
【本日の名言】「運命は神が考えたものだ人間は人間らしく働けばそれで結構だ」の意味・解釈・教訓とは?
この言葉の出典は明治大正期の小説家・夏目漱石(なつめそうせき)による著書
『虞美人草(ぐびじんそう)』に出てくる言葉である。
『虞美人草』とは、夏目漱石による最初の新聞小説で朝日新聞に連載された虚栄の女・藤尾を中心に利己と道義(道徳)の相剋を描いた作品。
内容(「BOOK」データベースより)
愛されることをのみ要求して愛することを知らず、我執と虚栄にむしばまれ心おごる麗人藤尾の、ついに一切を失って自ら滅びゆくという悲劇的な姿を描く。厳粛な理想主義的精神を強調した長篇小説で、その絢爛たる文体と整然たる劇的構成とが相まって、漱石の文学的地位を決定的にした。明治40年作。
運命は神が考えたものだ
人間は人間らしく働けばそれで結構だ
この言葉の意味としては、運命については神が考えることである。人間ごときが運命なんぞをどうこうしようと難しいことを考えて足掻く必要はなく、ただ、人間としての目の前にある仕事、やるべきことをひたすらに頑張るべきだ、それで人間は十分である。
実は出典元の小説『虞美人草』の中の会話でこのセリフが出てくるのはちょっと物騒な話である。
たまたま風邪が治れば長命だとか、日露戦争や戦争について、人間の運命についての会話の最中に登場するのがこの言葉である
「君は日本の運命を考えたことがあるのか」
「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。日露戦争を見ろ」
日本が短命なのか?人種と人種の戦争、アメリカ、インド、アフリカをみてみろ・・・という会話がつづき、
そして
「論より証拠誰でも死ぬじゃないか」
「死ぬのと殺されるのとは同じものか」
「大概は知らぬ間に殺されてるんだ」
。。。。。。
どうだろう?なかなか考えさせられる会話ではないだろうか?
『運命』と一口にいっても様々な種類の運命があるが
結局、人間,どう足掻いたって死ぬときは死ぬ、そんな運命などを人間がごちゃごちゃと考えたってどうしようもないものなんだから、そんなこと考えてる暇があれば目の前にあるやるべきことを片付けていけばいいのだろう。
夏目漱石によるその他の名言
自らを尊しと思わぬものは奴隷なり
自分に誠実でないものは、決して他人に誠実でありえない
(『行人』より)
結婚をして一人の人間が二人になると
一人でいた時よりも人間の品格が墜落する場合が多い
(『行人』より)
のんきと見える人々も、心の底を叩いてみるとどこか悲しい音がする
(『我輩は猫である』より)
夏目漱石(なつめそうせき)とはどんな人物?
夏目漱石(なつめそうせき)
本名:夏目金之助(きんのすけ) 俳号:愚陀仏(ぐだぶつ)
1867年江戸で誕生〜1916年東京で没 (享年49歳)
明治・大正期の小説家・英米文学者・文豪・教師
夏目漱石は江戸の牛込の名主の子(末っ子)として生まれるも
生まれてすぐに里子に出されるなど不遇な幼少期を過ごす
紆余曲折を経て、生家に戻るも、漱石は自分の父母のことを祖父母と思い込んでいたりするなどした時期があるなど複雑な時期を過ごす
幼少期から漢詩文や俳句を学んだり学業は優秀であった
帝国大学(現在の東京大学)英文科卒
松山中学の教師、第五高等学校教授を経て
1900年に英国留学、帰国後は第一高等学校、そして東大の講師となる
1905年に、高浜虚子のすすめで執筆した
『倫敦(ろんどん)塔』『我輩は猫である』であるを発表し、文壇に確固たる地位を築く。
朝日新聞者に入社し創作に専念し、数々の名作小説を世に送り出した
『坊ちゃん』『草枕』『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』『明暗』など