【本日の名言】「容易な道を選んではならぬ 近道を抜けてはならぬ」とは明治・大正期の小説家・ 有島武郎(ありしまたけお)による言葉だがその意味とは?この言葉の解釈・教訓は?有島武郎とはどんな人物?何をした人?最後は女性記者と不倫の末に情死(心中)したって本当?
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目次
『容易な道を選んではならぬ 近道を抜けてはならぬ』の意味とは?
この言葉の出典は大正時代の作家・有島武郎(ありしま たけお)による
『大いなる健全性へ』よりの出典である
「容易な道を選んではならぬ 近道を抜けてはならぬ」の意味とは?
容易な道
簡単でたやすいことばかりを選び
近道 抜け道、手っ取り早い方法を選んで
人間は楽な方楽な方へと行ってしまうものだが
楽をした報いは必ずあとになってやってくるものだし、その時にはもう取り返しがつかないものだ
遠回りになっても苦労をすることも時には必要だろう。
遠回りしたことがかえって近道になることも往々にしてあるもの。
「急がば回れ」ということにやや近い意味である。
『急がば回れ』ということわざ、慣用句の意味・解釈としては
危険な近道をするようり安全な本来の正しい道を回った方が、結局は早く目的地に着く。という意味
成果を急ぐのであれば、パっと見は遠回りにみえても、着実な方法を取るべきだという教訓。
有島武郎 (ありしま たけお)とはどんな人物?
有島武郎とは明治・大正期の小説家・評論家
1878年誕生〜1923年没(享年45歳・自殺)
有島武郎は横浜関税長になった父親の家庭に生まれた。
幼いころから文明開化の気風で育つ。父親の方針でアメリカ人家庭で生活し、
ミッション・スクールに通い、西洋文化・西洋思想になじんで育った。
学習院を経てから札幌農学校(現在の北海道大学)
さらにアメリカへ留学し、ハバフォード大学やハーバード大学の大学院まで行き学んでいる
ホイットマンやトルストイ、社会主義に傾倒し、西洋哲学に影響を受け
洗礼を受け、キリスト教に入信した時期もあった。
日本に帰国後は大学の英語講師などをして過ごしていた
実の弟の有島生馬(ありしま いくま)※西洋画家、作家、セザンヌを日本に初めて紹介した人として有名
生馬より紹介され、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)や志賀直哉(しがなおや)らと出会い
同人誌『白樺』の創刊に参加した。
有島武郎はいわゆる「白樺派」の中心人物の一人である。
1916年に妻を肺結核によって亡くし、相次いで父も亡くした
1917年『死と其の前後』あたりから創作活動が活発となる
この時期には『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『迷路』『或る女』など有島武郎の代表作となる小説の多くが発表された
本能愛のなかに自我の完成の可能性をもとめる論を多く残したが・・・・
『惜しみなく愛は奪ふ(う)』など
やがて
婦人公論の女性記者をしていた波多野秋子(はたのあきこ)と恋愛に落ちるが
彼女は人妻であり、じきに不倫関係が、秋子の夫にばれ、夫からの脅迫をうけ
有島武郎と駆け落ちしたのち、軽井沢の別荘にて首を吊り自殺した。
「階級闘争の激化に対する自己の限界を表明し、思想的苦悩の結果として財産を放棄し自殺」
「社会主義の台頭とともに思想的に動揺し波多野秋子と心中した」などと言われている
有島武郎に関する作品
上記の作品の他に
『クララの出家』『凱旋』『かんかん虫』『酒狂』『骨』『文化の末路』『小さき者へ』『大いなる健全性へ』など著書は多数
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魯迅(ろじん)によって紹介され、教科書にも載っているため
中国でも認知度が高い日本の作家である。
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