【本日の名言】「初心忘るべからず(しょしんわするべからず)」とは室町初期の能役者・能作者であった世阿弥(ぜあみ)が『花鏡(かきょう)』に残した言葉であるが、その意味・解釈・教訓とは?世阿弥(ぜあみ)とはどんな人物?何をした人?
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目次
「初心忘るべからず」の意味・解釈・教訓とは?
この言葉の出典は世阿弥(ぜあみ)による著書『花鏡(かきょう)』より
「当流に万能一徳の句あり。(とうりゅうにまんのういっとくのくあり)
初心不可忘」(しょしんわするべからず)
「初心忘るべからず」とは
もともとは能楽(のうがく)修行について述べられた言葉であるが、
現在でも万能にどんなことにも使える慣用句・ことわざとなっている。
その意味は
学び始めた当時の未熟さや経験を忘れてはならない、物事を始めたことの謙虚で真剣な気持ち
常に志したときの意気込みと、謙虚さをもつことを意味している。
「忘れるべからず」ではなく「忘るべからず」
「忘れるべからず」は間違いではないが「忘る」というのがすでに「忘れる」の文語形となっているので
「初心忘るべからず」という文語体の句である。
最後は島流しとなった世阿弥(ぜあみ/世阿彌)とはどんな人物?
芸名:世阿弥陀仏(ぜあみだぶつ)
幼名:鬼夜叉、藤若(藤若丸) 通称:三郎
実名:観世三郎元清
1363年(?)誕生〜1443年(?)没 生年没年の詳細は未詳
室町初期の能役者・能の作者・大和猿楽観世座2代目大夫
父が観阿弥(かんあみ)=通称:観世(かんぜ)
世阿弥は大和猿楽(申楽)役者・観阿弥(かんあみ)の長男として生まれる
幼少期から父の一座の猿楽能の舞台に立つ
世阿弥12歳の頃に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の目にとまり
それ以降は足利義満の庇護のもとに入る。
父・観阿弥が大成した能をさらに優雅なものに洗練し幽玄の能として完成させた。
足利義満が亡くなったあとは、
4代目義持(よしもち)の代になると田楽がもてはやされるようになり世阿弥は不遇となる。
6代目将軍・義教(よしのり)が将軍の代になると
世阿弥およびその息子はさらに弾圧をうける。
観世大夫を甥の音阿弥に強制的に譲らされた上で
佐渡に島流し(流刑)にされ、その後の消息の詳細は不明である。
世阿弥はその生涯において芸術論の基礎、夢幻能形式、能楽論書を書き残した。
世阿弥に関連する作品
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