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【本日の名言】女性の直感はしばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐbyガンディ(ガンジー)の意味・解釈・教訓とは?

女性の直感はしばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐ

【本日の名言】「女性の直感はしばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐ」とはインドの政治家・思想家、インド建国の父でるマハトマ・ガンジー(ガンディ)による言葉だが、その意味・解釈・教訓とは?非暴力主義でインドを独立に導いたガンディーってどんな人物?幼少期はやんちゃしてたって本当?




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「女性の直感はしばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐ」の意味・解釈・教訓とは?

この言葉の出典はインド独立の父・マハトマ・ガンジー(ガンディー)によるもの
『堕落した我々の姉妹』より

「女性の直感はしばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐ(しのぐ)」の意味とは

女性の直感、女性特有の感の鋭さは、男性の思い上がった知識を凌駕することがたびたびあるものだ

知識も当然なくてはならない大切なものではあるが
時には、頭で考えるのではなく、心で感じた直感に従ってみる方が良い結果につながることもある

ちなみにスティーブ・ジョブズも直感に関してはこのように言っている

「直感や運命、人生、カルマ、なんでもいい。それで失敗した試しはない。」

頭で考えるよりも直感に従ってみるのもいい方法かもしれない。

ガンディ(ガンジー)のその他の名言

  • 「非暴力は暴力よりも無限に優れているし、許すことは処罰するより遥かに男らしい。
  • 「握り拳と握手はできない」
  • 「明日死ぬかのように生きよ 永遠に生きるかのように学べ」
  • 「強さは肉体的な力くるのではい。それは不屈の意志から生まれる」
  • 「狂気染みた破壊が、全体主義の名のもとで行われるか、
    自由と民主主義の聖なる名のもので行われるかということが、
    死にゆく人々や孤児や浮浪者に対して、一体何の違いをもたらすのであろうか」

ガンディー(ガンジー)といえば、非暴力・不服従のガンディー主義で有名だが
ガンディー(ガンジー)
は民族独立運動の中でも女性の能力をいかそうとした人物でもある。

ガンディ自身は、インドの風習(幼児婚)によって13歳で結婚しているが
結婚、家庭を維持しつつも、なんと禁欲主義を掲げており、女性に対して欲望を抱かないことで女性を尊敬していたともいわれるが
その晩年には裸の若い女性と添い寝をしていたなどという話が暴露されてもいる・・・・(真相は不明)




ガンディー(ガンジー)とはどんな人物だったの?

マハトマ・ガンディ(ガンジー)
Mohandas Karamchand Gandhi
モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー

出典: Wikipedia

通称マハトマ・ガンジー
Mahatmaマハトマ(マハートマー)とは『偉大なる魂』を意味する

1869年グジャラートにて誕生〜1948年デリーで没(享年78歳)

インド建国の父、独立指導者 政治家・思想家・政治指導者・宗教家

『インド独立の父』と呼ばれるマハトマ・ガンジーは南アフリカで弁護士としてインド人のために人種差別と戦ったのち、祖国に帰り、独立運動の指導者となった。ガンジーが武力を用いず、不服従運動や不買運動などによって植民地支配や差別と戦ったことは、世界中に大きな影響を与えた。

ガンディは敬虔なヒンドゥー教徒の両親のもとで生まれた。
幼少期はやんちゃで成績も素行も悪かったという。
13歳で同い年のカストルバイと婚約し結婚。

1888年に宗主国である英国に留学し、弁護士資格を取得した。
1891年に英国留学からインドに帰り、弁護士を開業。

1893年に商社の顧問弁護士となったガンディーは同じくイギリス領であった南アフリカに渡り、そこで不当な人種差別、アパルトヘイト政策による人種によっての迫害や虐待を身を以て体験する
この強烈な差別経験によって生まれたのが非暴力主義、不殺生(アヒンサー)を基調とするガンディー主義の原点である。
インド人(インド系人種)の人権を擁護するために、非暴力非抵抗主義のサティヤーグラハ運動を組織し、
ガンディーは南アフリカで22年間を過ごした。

1915年にインドへ帰国したガンディーは植民地として宗主国であったイギリスに対し労働運動や反英インド独立運動に参加する

1919年ローラット法という民族運動を封じる一種の治安維持法に反対し、ガンジーはこれに抗議した。
ガンディはインドで初となる不服従運動を指導した。

ガンディー(ガンジー)といえば『非暴力』、『不服従』運動が有名であるが無抵抗主義ではないので勘違いしないようにしたい。
非暴力主義運動とは、武力行使など暴力によって、抗議運動を止めようとしてくる相手に対して反撃をしない。逃げることもしない。勇気の運動でもある。

ローラハット法の反対集会でガンジーは非暴力非協力運動によって抗議としたが、イギリス側は武力でこれを弾圧しようとしたために、多くの死者犠牲者が生まれた(アムリッツァル虐殺)
この虐殺事件によって、インドの民族感情が悪化、穏健だった独立派も急進的な民族主義者となっていく。

1930年にガンジーは塩の専売法(イギリスによる不当な塩税)に反対し<塩の行進>などの反対運動でしばしば投獄されつつも
インドの完全独立のための不服従運動に全力を尽くした。

1945年、第二次世界大戦中には英国に対し、インドからの即時撤退を要求したためにガンディーは逮捕された。
しかし、第二次世界大戦を機にインド独立運動はいよいよ盛んとなる。

ガンディはインドの分割独立に反対し、ヒンドゥ(ヒンズー)教徒とイスラム教徒をまとめた統一インドを主張し、融合に勤めるも挫折

第二次世界大戦終了後にようやくイギリスはついにインドの独立を認めた

1947年にインド独立法によって、イギリス領インド帝国は消滅し、ヒンドゥー教徒が主体となるインド連邦が独立国として誕生し、現在のインド共和国となった。(ガンディーの目指した統一インドではなくイスラム教徒を主体するつのはパキスタンとなり分離独立となった。)

ガンジーはインド独立をみとどけた後、1948年に狂信的なヒンズー教徒によって暗殺された。

ガンディーの著書には『自叙伝』『非暴力から生じる力』などがある

ガンディーに影響を受けたとされる偉人もまた多い
キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)、ダライ・ラマ14世などもガンディに大きな影響を受けたことを公言している人物である。

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