【本日の名言】「悲しみ苦しみは人生の花だ」by 坂口安吾 (さかぐち あんご)とは 昭和期の小説家・評論家・随筆家 の 坂口安吾 による言葉だが、その意味・解釈・教訓とは?『偉大なる落伍者』無頼派を代表する作家坂口安吾 とはどんな人物?そのほかの名言や関連する本などを紹介
目次
【本日の名言】「悲しみ苦しみは人生の花だ」の意味・解釈・教訓とは?
この言葉の参考出典は 坂口安吾 による 『悪妻論』 より
『悪妻論』時代の異端児であり無頼派を代表する作家・坂口安吾が、良妻はもらうな! 悪妻をもらえ!と自身のこだわりを交えた夫婦論を面白可笑しく綴る。他にも安吾は、遊ぶことの好きな女は、魅力があるに決まっている。だから自分は悪妻をもらいたいと言いながらも、悪妻と言っても知性のない悪妻はだめだと言い放つ。では、果たして日本の男性は良妻と悪妻をどちらをもらえば幸せになれるのか!?
「悲しみ苦しみは人生の花だ」の言葉の意味とは?
悲しみ苦しみは人生の花だ
から得られる教訓としては?
植物であれば花は、実をつけ種を残すための手段にすぎない。人間にとってはどうだろうか?
生きることは花を咲かせようと努力することかもしれない、悲しみ、苦しみは夢を実現するための手段にすぎないからまさにそれこそ人生の花であるといえよう。
坂口安吾 のその他の名言や関連本おすすめ
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『堕落論・日本文化私観 他二十二篇』1946(昭和21)年4月に発表された「堕落論」によって、坂口安吾(1906‐1955)は一躍時代の寵児となった。作家として生き抜く覚悟を決めた日から、安吾は内なる〈自己〉との壮絶な戦いに明け暮れた。他者などではない。この〈自己〉こそが一切の基準だ。安吾の視線は、物事の本質にグサリと突き刺さる。
『白痴』白痴の女と火炎の中をのがれ、「生きるための、明日の希望がないから」女を捨てていくはりあいもなく、ただ今朝も太陽の光がそそぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作など、自嘲的なアウトローの生活をくりひろげながら、「堕落論」の主張を作品化し、観念的私小説を創造してデカダン派と称される著者の代表作7編を収める。
『坂口安吾論』『坂口安吾全集』全17巻(筑摩書房)の編集委員である著者が、月報に連載した坂口安吾論170枚を第一部に、2005年の論考「坂口安吾のアナキズム」や2010年に米国の安吾論集に寄稿した「合理への「非合理」な意志」、1975年の著名な評論「『日本文化私観』論」などを収録、大幅改稿による柄谷安吾論の集大成として刊行。著者の安吾論にはこれまで『坂口安吾と中上健次』(太田出版、講談社文芸文庫)があるが、本書が初の単独の安吾論集であり、7割以上が初めての単行本収録となる。自ら自由人たらんとした安吾的精神、戦争をはさんで書かれた、日本人の自己欺瞞を鋭く突く安吾の言説の、今もアクチュアルな意味あいを抽出し、虚飾を排したその文学の全体像を描く評論集。
坂口安吾 (さかぐち あんご)とはどんな人物?何をした人?
坂口安吾
本名は 坂口 炳五(さかぐち へいご)
1906年 新潟県 で誕生〜 1955年 群馬県
昭和期の小説家・評論家・随筆家・無頼派を代表する作家
坂口安吾 に関するエピソードや人物像
1930年東洋大学インド哲学科卒業。
1931年『風博士』『黒谷村』で文壇に登場
その後失恋による空白期間を経て、随筆『日本文化私観』『青春論』などで復帰
第2次大戦後「生きよ、堕ちよ」という逆説のモラルを評論『堕落論』で説いた。
小説『白痴』『青鬼の褌を洗う女』などを発表し、戦後の社会の混乱や退廃を反映する独自の作風を確立した。