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【本日の名言】男の使命は広く 女の使命は深し by トルストイとはどんな意味?どんな人物?

男の使命は広く女の使命は深しトルストイ

【本日の名言】『男の使命は広く 女の使命は深し』とはロシアの小説家 トルストイによる長編小説『戦争と平和』に登場する言葉だが、その意味・解釈・教訓とは?トルストイとはどんな人物だったのかについて。ちなみに本記事とは関係ないが私が好きなのは『銭湯』と『平和』である。




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「男の使命は広く 女の使命は深し」とはどんな意味?解釈は?

出典はトルストイによる『戦争と平和』より

当初の文章はこのような↓ものだったが

男子の使命は広くして多様、女子の使命は一律にしてやや狭く、しかしさらに深い。

というような表現だったが
「女の使命は一律にしてやや狭く」というやや女性をディスっている部分が削られ

「男の使命は広く、女の使命は深し」という表現でトルストイの名言とされることが多いようだ

意味とはしては言葉の通りだが、こういう解釈の仕方ができる

男性と女性の使命(自分に課せられた重要な任務、ミッション)を対比してみれば
男性諸君の使命幅広く多様なもの(広く浅い)ものだが、それに比べて
女性たちの使命
狭くそして奥深いものである。

男性には女性を理解する事など、実際不可能と言っているような気もしてくる。

女性(妻)というものに振り回されて死に至ったと言っても過言ではないトルストイは
他にも女性に関して名言をこのように残している。

「女というものはいくら研究を続けても常に完全に新しい存在である。」
「多くの女性を愛した人間よりもたった一人の女性だけを愛した人間の方がはるかに深く女というものを知っている。」

『戦争と平和』とはどんなお話?

これまでに何度も映画化、ドラマ化、オペラ・舞台化されているので
『戦争と平和《Viona i mir》』というタイトルこそ有名ではあっても意外と知らない
『戦争と平和』のその内容とは?

  • レフ・トルストイによる長編大河小説
  • 大きく4編とエピローグから構成される。
  • 1865年〜1869年にかけて連載された
  • タイトルの通り《戦争》と《平和》の両面からロシア社会を描き出した大作である。

1805年のナポレオン軍がロシアに近づき・・・
ストーリーの中心となるのは1812年のナポレオンのロシア侵攻ナポレオン戦争の時代を背景とした貴族社会を中心とした、あらゆる階層の人間の運命、登場人物の愛と苦悩を描いた壮大な歴史絵巻である

<主要な登場人物>

莫大な遺産を相続しながらも満たされることのない人生を送り
精神的な探索をつづけている貴族:ピエール・ベズーホフ

戦場に倒れる高潔な貴族:アンドレイ・ボルコンスキー

可憐で情熱的なヒロイン:ナターシャ・ロストワ

などの、人生の愛と運命の物語が語られていく、戦争の描写があり、個人の意思とは関わらず押し流されて動いて行く歴史の流れを巡ってのトルストイの人生哲学的な考察の要素が多分に織り交ぜられている。

型破りな構成と巨大すぎる規模で19世紀ロシアリアリズムを代表する大作『戦争と平和』は多くの歴史哲学的な議論を呼ぶ作品である。

  • 『戦争と平和』は世界の10大小説の一つとしてサマセット・モームがあげている

『戦争と平和』に登場するその他の名言

「この世で成功を収めるのは、卑劣で汚らわしい人間ばかりである」
「純朴と、善良と、正義のないところに偉大はない」
「もし苦しみがなかったら人間は自分の限界を知らなかったろうし、自分というものを知らなかったろう。

「永遠に比べたらほんの一瞬しか生きていられないのに、人生なぞ苦しむに値するものだろうか?」
「人間の考え方の果てしない多様性
 ・・・・・その多様性の故に、どのような真理も二人の人間の頭脳に同一に映ることがないのである」

トルストイのその他の名言

「誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない」
「何の試練も受けていないものには試練を受けている人に何も教えることはでない」
「慈善はそれが犠牲である場合にのみ慈善である」

女性に苦しめられた?レフ・トルストイってどんな人物?

トルストイの本名は (ロシア語:Лев Николаевич Толстой)
Lev Nikolayevich Tolstoy
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ
通称:レフ・トルストイ

出典:Wikipedia

出典:Wikipedia

1828年誕生〜1910年没(享年82歳)
帝政ロシア末期の小説家・文豪・非暴力主義者

レフ・トルストイはロシア帝国時代の伯爵家に生まれ、幼くして両親を亡くした。

1847年にカザン大学を中退
故郷に戻ると、農民の生活改善に着手するが失敗
軍務についていた兄のもとに行き文学に目覚め…

トルストイの自伝3部作(『幼年時代』『少年時代』『青年時代』)を発表し新進気鋭の作家として地位を得る。

1857年にヨーロッパ旅行にでかけ、ヨーロッパの文明に対する懐疑をいだいた。
結婚後も執筆活動に専念し、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』の二大大作を書き上げた。

宗教に関する論文『懺悔』『わが信仰』
民話『イワンのばか(馬鹿者イワン)』などでは悪に対する無抵抗思想を書いた。

私有財産の否定、非戦論、非暴力主義という、のちにトルストイ主義と呼ばれる
トルストイの思想に忠実な活動をし、日本への影響は特に『白樺派』と呼ばれる作家たちに大きな影響を与えた。

トルストイの最後は、妻ソフィアとの家庭内での葛藤に苦しみ家出、
ウラル鉄道の小さな駅舎で亡くなっていたのが発見された。

ちなみにトルストイの妻:ソフィア世界三大悪妻といわれている。
ちなみにちなみに世界三大悪妻とはソクラテスの妻モーツァルトの妻、そしてトルストイの妻のことである

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