【本日の名言】 「自分の生命を打ち込むことのできる仕事を持っているものは幸福である」 by 九条武子 (くじょう たけこ) とは 大正時代の歌人・教育者・社会運動活動家 の 九条武子 による言葉だが、その意味・解釈・教訓とは?才色兼備、大正三美人の一人でもある九条武子 とはどんな人物?そのほかの名言や関連する本などを紹介
目次
【本日の名言】 「自分の生命を打ち込むことのできる仕事を持っているものは幸福である」 の意味・解釈・教訓とは?
この言葉は大正時代の歌人・慈善事業家であった九条武子 による名言である。
「自分の生命を打ち込むことのできる仕事を持っているものは幸福である」の言葉の意味とは?
自分の生命を打ち込むことのできる仕事を
持っているものは幸福である
この名言には少し続きがあるのでそれも含めて一緒に意味を考えたい。
そこに如何なる苦痛が押し寄せようとも、
たえざる感謝と新しき力のもとに生きていくことができる。
生命は仕事とともに不滅である
天から頂いた生命を打ち込めるような仕事と出会い、その仕事ができるということは天職を得たということだろう、これぞ幸福というのだろう。
自分の生命を打ち込むことのできる仕事を
持っているものは幸福であるから得られる教訓としては
比喩ではあるが命がけで仕事をできる人は幸せである。
限られた人生の時間のなかで仕事をしている時間はかなりの割合を占めるだろう
その人生で多くを占める仕事をしている時間に対して、命を打ち込めている、没頭できる仕事を持っているということは幸せだろう
何もかも忘れて物事に熱中できるということ、それが仕事であること、それは幸福だろう
命を打ち込めると言えるような没頭できる天職と出会えたならそれを幸福と言わずして何というのだろうか。
社会慈善事業に奔走のちに無理がたたって敗血症によって42歳という短い生涯を閉じた九条武子の生き様そのもののような名言である。
九条武子 のその他の名言や関連本おすすめ
散りゆく花は
風を恨もうとはしない
花は自分に
めぐまれただけの
本分をはたして
静かに散ってゆく
『無憂華(むゆうげ)』より
『九条武子―その生涯とあしあと』西本願寺に生まれ42歳という若さで浄土へ旅立った九条武子。主婦として、一世を風靡した憂愁の歌人として、知恵と慈愛と忍耐に満ちた生涯を描く
『志村智雄戯曲集 如月の華 九條武子ものがたり 夢千代日記』
明治、大正、昭和の42年間に渡り、愛と慈しみを貫く九条武子の生涯を劇化! 全国の女性に広がる、新たな感動の嵐!
九条武子(くじょう たけこ) とはどんな人物?何をした人?
九条武子(くじょう たけこ)
1887年 京都・西本願寺で誕生〜 1928年東京にて病没(享年42歳)
大正時代の歌人・教育者・社会運動活動家・仏教婦人会長・ジャーナリスト
九条武子 に関するエピソードや人物像
京都・西本願寺第21代法主・明如(大谷光尊)の次女として生まれる
1909年男爵 九条良政と結婚しヨーロッパへわたる、翌年帰国し、夫の帰国をまちながら歌道に勤しんだ。
10年近い日本とヨーロッパでの別居生活によって不仲説が取りざたされた。
京都女子学園・京都女子大学設立者
武子は才色兼備として大正三美人の一人として柳原白蓮(大正天皇生母・柳原愛子の姪)、江木欣々とともにもてはやされた。
後年は慈善事業にも積極的に参画したが、関東大震災後の復興のための事業での奔走がたたって敗血症によって死去した。