インカ文明とは!?南米旅行アンデス地方に行く前に押さえておきたい豆知識

南米旅行といえばペルーのマチュピチュ!南米で最後で最大の文明帝国を誇ったインカ文明、インカ帝国の遺跡観光ははずせない!でもでも、インカ帝国とはなんだったのか?アンデス文明??はて学校で習ったような、でも言葉としては知ってるけどどんな文明だったの?専門知識まではいらないけど旅行に行く前にちょっと予習、豆知識として知っておけば遺跡観光が楽しくなるためのさらっとしたインカ帝国について自分なりにまとめてみました。


ここまでの流れはこちらの記事をご参照ください
別記事
↓↓
世界一周航空券でプチ世界一周14 マチュピチュ周辺で観光できる オリャンタイタンボ
世界一周航空券でプチ世界一周13 マチュピチュ山登山の様子とマチュピチュ遺跡
世界一周航空券でプチ世界一周12 マチュピチュ村で地元民御用達食堂で食べる!

オリャンタイタンボへの行き方
世界一周航空券でプチ世界一周⑧クスコーオリャンタイタンボまで乗り合いバスで行く



アンデス文明って?インカ帝国?インカ文明?プレ・インカっってなに??

<アンデス文明とは>
南米大陸 アンデス地方
ペルー・ボリビア 海岸からアンデス山脈にかけての広範囲の各地で
花開いた文明、帝国の総称

スペイン人によって1532年に征服されるまで栄えた高度な文明

幕開けは
・紀元前(B.C)1000年頃〜

チャビン文化      古代アンデスの幕開け
ティナワク文化     巨石文化の礎
モチェ文化          写実的土器が特徴
ワリ文化           都市型文化(道路整備など)
パラカス文化         地上絵のルーツ(ナスカに継承)
ナスカ文化          ナスカの地上絵(上空からしかわからない)
シカン文化           黄金の王国(チムーに継承)
チムー王国          プレ・インカ最大の王国 壁の浮き彫りレリーフが特徴
チャチャポヤス文化 山の上に大都市を築き雲上の人とされインカと戦った
——↑プレ・インカ時代————————–
インカ帝国     南米最後にして最大の大帝国 

プレ・インカとは??
観光しているとよく聞くプレ・インカ時代という言葉
インカ帝国より以前のアンデス文明・諸文化の総称





<アンデス文明の特徴>

文字を持たない
・金銀鋳造技術が発達してた(全部スペインに持ってかれた)
・家畜飼育文化 リャマ(荷運び用)、アルパカ(羊毛)クイ(食用テンジクネズミ)
車輪文化なし 車輪の概念がなかったとされる
・じゃがいも、イモ類、キャッサバなど(塊茎類)を主食として栽培、
穀類、トウモロコシ類は食用ではなく飲料用だったとされる

こんな巨石をどうやって詰んだのか??

南米大陸 最後で最大の文明国家 インカ帝国とは?

ペルーのクスコあたりの高地にいた部族が周囲の部族を統合しつつ勢力を強め、
1450年頃に太陽を神とする王制国家を築き、
インカ帝国となった。
インカ帝国最盛期には
現在のコロンビア、アルゼンチン、チリ北部にまで支配する大帝国となった。

インカ帝国最盛期の人口1,600万人といわれている

1532年にスペイン人の侵攻により征服され、
事実上インカ帝国は滅亡した。




 

<インカ文明の特徴>

  • 大規模な灌漑機能を備える段々畑での農業を基礎とする
  • 大都市文化、政治、組織、社会制度で抜きん出た文明
  • 土木・建築技術、道路網は最高水準に及んだ
  • 金銀銅細工,土器,織物も盛んだった
  • 開頭しての脳外科手術の痕跡など医療分野も発達していた
  • 太陽を神とする
  • インカ神話による初代インカ皇帝はマンコ・カパック

南米でやたらみかける初代インカ皇帝のマンコ・カパックとは?

日本語ではあれですが・・・・
れっきとした歴史上の重要登場人物です。
インカ帝国を語る上で避けて通れない
マンコ・カパックとはなんなのか?

南米、特にペルー・ボリビアを旅しているとやたらと見かける

マンコ・カパック像

チチカカ湖のマンコカパックと妹であり妻のママ・オクリョ像

マチュピチュ村のマンコカパック広場

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クスコの広場

チチカカ湖からボリビアに渡るところにもマンコカパック像





いたるところで大きな像が立っていて人々を見守ってますが
一体マンコ・カパックとは誰なのか??

 

マンコ・カパック
Manco Cápac Manqu Qhapaq(ケチュア語で「素晴らしき礎」という意味)

インカ神話による、
クスコ王国(インカ帝国の前身)の初代国王
出自は伝説によって違い、諸説あり
神話的な存在で、実在は疑問視されている

インティ伝説によると、
マンコ(Manco)は太陽神(Inti)の息子で、
天の神 パチャカマックの兄弟で
パカリタンボの洞窟からと出現したとされている
チチカカ湖から出現したという説もある。

太陽神インティはマンコにタパク・ヤウリという金の杖を与え、
その金の杖が沈む地に太陽の神殿を作るように指示をしたとされる。

妻は実の妹のママ・オクリョ

モライ

オリャンタイタンボ遺跡

まとめ

特に個人的には、高度な灌漑水路を有する段々畑
高山都市であることを最大限に利用して作られていて
標高差を利用して、高地ではジャガイモ、低地にはトマトやトウモロコシなど多品種の農耕栽培が行われていたり
研究もされていたというのが感動でした。

本当にさらっとした基礎知識をまとめただけですが、
現地に行ってこれだけでも知ってると違うし
遺跡を見て古代にそこに暮らしていた人々に思いを馳せる時に、参考になれば幸いです。



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