【女1人に32人の男】アナタハンの女王とはどんな事件だったのか?【南の孤島の5年間】

アナタハンの事件とはどんなもの?

【アナタハン(の女王)事件とは?】終戦直後の南の孤島で集団生活をしていた、女1人に男32人という中で起きた、島にいた唯一の女性をめぐって男たちによって殺し合いがありサバイバルの島と化した事件。何度が映画化され、直近では2010年の『東京島(原作・桐野夏生の小説)』がこの事件を題材にしている。アナタハンの女王とは一連の事件の中心にいた唯一の女性のことをさす。




事件の舞台となったアナタハンとは??

『アナタハンの女王事件』がおきたのは1945年〜1950年の間約5年間である。
終戦時から1950年〜51年にかけてアメリカ船による全員の救出が行われるまでの間に
この島にいた33人のうち13人が死亡したか、行方不明になった

アナタハン島

事件が起きたのはサイパンの北に100キロほど離れた
北マリアナ諸島の小さな孤島『アナタハン島』(チャモロ語: Anatåhån)
島の大きさは島の東西を一直線に結んでも12km,南北は4kmほどの小さな島である

「アナタハンの女王事件」とは簡単にいえば、この南の孤島で起きた
このただひとりの女性をめぐり、争った男たちが次々に変死を遂げた事件である。

そのただひとりの女性のことを、事件が発覚したのちに
「アナタハンの女王」と呼ぶようになる。

アナタハンの女王とはどんな女性だったのか?

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

比嘉和子(ひがかづこ) 沖縄出身
救出当時は27歳であったとされる

16歳で兄を頼ってサイパンに渡り
21歳で旦那(夫)の転勤に伴いアナタハン島に入った。

もともと島にいた現地民(原住民カナカ人)は45名

アナタハン島にはその45名と
ヤシ林開拓、経営のためアナタハン島に入った3人の日本人だけであった。
(和子、和子の夫、夫の上司)

和子の夫は妹を迎えに行くために島を出たまま消息不明となり
二度と島に戻ることはなかった
(サイパン攻撃にあったか?とされたが・・・・のちに先に帰国し別の女性と結婚していたことが発覚した)

アナタハン事件の時代背景とは?

1945年といえば第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦の年である。

その前の大戦(第一次世界大戦)で日本は戦勝国となっており、
そのためマリアナ諸島一帯を日本が委任統治していた。
サイパンを始め周辺の島々を日本が統治していた時代である。

31人の男はどこからやってきた?

太平洋戦争末期である1944年6月に
サイパン周辺の島々を米軍による空襲が襲った

近くを航行していた食糧補給船団の船が沈没し
31人の軍人や軍属の男たちがアナタハン島に泳ぎ着き、生活をはじめた

現地民の島民(カナカ人)は全員島を出たため
太平洋戦争が終結(1945年8月)した後も、アナタハン島には
戦争の終結をしらない(敗戦を信じない)日本人だけが残った。

なぜ終戦を知らずに島に残っていたのか?

終戦後にアメリカ軍によってアナタハン島に残る日本人にも
戦争の終結を拡声器やビラ、船からのスピーカーを使って伝え
島に住む日本人の住民に投降をよびかけたが

南の孤島、アナタハン島の住民はそれを信じず
敵の罠、米兵による陽動作戦と思っていた

アメリカ軍はそれまで日本が委任統治していた北マリアナ諸島一帯の
信託統治を委譲するなどの雑事に追われ、
そのうちに、アナタハン島に残った日本人たちのことを忘れていった

終戦後の混乱期、南の孤島に取り残された人々
それがアナタハン事件の関係者である
男32人と女がたった1人の33名の日本人である。

そしてそのただひとりの女というのが『アナタハンの女王』とのちに呼ばれた
比嘉和子という女性である。




なぜ島の32人の男たちに殺し合いがおきたのか?

死亡者の死因は、過酷な生活環境による病気過労死のほか
島にただひとり残った女性をめぐっての殺し合いによって死亡したとされている

島では自給自足の生活ではあるが、南の孤島とはいえ、自生する果物や
ヤシガニやイモ、雨水も確保できており、食欲は満たされていた。
さらには原住民から教わったという酒の作り方を覚えていたものもいたという。

食欲が満たされた32名の若い男たちとたった一人の女
さらにそこに酒の魔力が加わる。

ギラギラした男たちに囲まれながらも
当初は誰もが礼節をわきまえていたという。

人間の三大欲求は食欲・性欲・睡眠欲

最初に島にいた夫の上司と和子は島で結婚式を挙げる

皆の了解のもと、誰かのものという名目があれば
他の男たちも諦めがつくという頼みもあって
二人は夫婦のように暮らし、島は平穏を保っていた・・・

しかし、ある時そんな島に変化をもたらしたのが
1946年の8月,大戦の末期に墜落したと思われる
B29(米軍戦闘機)の残骸が山中で発見されたのである。

この残骸の中から発見されたのは4丁の壊れた拳銃である。
この壊れて使い物にならない拳銃を組み立て直し、

2丁の拳銃が出来上がってしまった。

このことで表面上、平穏に見えていた島の雰囲気が変化する・・・・

拳銃を組み立てた二人が持つ拳銃は、まず、二人と仲が悪かった男を射殺することに使われ
これで拳銃が完全に『権力の象徴』へと変わった。

和子は絶対的な権力を手に入れた二人の男の妻となることになり
その後も拳銃とただひとりの女を巡って争いが繰り返され続ける

島から逃げなきゃ殺される!

争いの元凶である拳銃を海に捨てたり
会議によって和子の夫となる男を決めるなどが話し合われたが
どれも功を奏せず、次々と女ひとりと拳銃を巡って殺し合いが起き

最終的には男は殺害されたのは7名に及び、病死や過労死なども含め
もともとアナタハンに32人いた男性は残り19名となった。

先の見えない南の孤島での集団生活の中での殺し合い・・・・

争いの元凶
となっている「あの女を消してしまえ」

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そんな話が出ていると知った和子はジャングル内を1ヶ月以上にわたり逃げまわり、
とうとう、1950年6月にアメリカ船によって救出され、島を脱出した。

ようやく日本に帰国した和子の証言によってこのアナタハン事件が明るみになり
連日新聞を賑わし、日本中がこの事件に熱狂することになる。

「アナタハン」という言葉がブームとなり、
和子は一躍 ”時の人” となった

島に残った(生き残った)19人の男たちには日本での新聞が島へも届けられたが
その後もしばらくは「米軍の謀略である」
と日本の敗戦を認めなかったが

1951年6月についに生き残った男も全員が投降し、日本へ帰国した。

この殺人事件の全貌に関しては
詳細がいまだにはっきりとしていない部分が多分にあり

「男を惑わす女」としてセンセーショナルに一躍時の人となった後の和子は
興行師とともに日本全国を事件をモデルにした芝居やレビューで回る興行生活をして
『アナタハンの女王』と称したブロマイドなども売られたという

その後ストリッパーになるなど、華麗なアナタハンブームも収束したのちに
故郷沖縄で小さな食堂『アナタハン』を開いていた。(享年50歳)

アナタハン事件を元にした小説や映画もたくさんあるので
詳細を知りたい方は書籍を読まれることをおすすめします。

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