【本日の名言】『明日は明日の風が吹く』とは 幕末•明治期の歌舞伎脚本家河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)が残した言葉ですが、その意味・解釈は?『風とともに去りぬ』が出典だとするのは間違いって本当?河竹黙阿弥ってどんな人物だったの?
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目次
『明日は明日の風が吹く』の読み方・意味・解釈とは?
「明日は明日の風が吹く」の読み方は明日を(あす)とよんでも(あした)と読んでも間違いではない。
明日になれば今日とは異なる明日の風がふくんだから
先のことをくよくよと心配して考えていても仕方がない
物事はなるようにしかならないのだから
成り行きに任せてみよう!という意味のことわざ、慣用句である。
将来の不安や先のことを思い悩んでくよくよと考えるよりは
なるがままに(風まかせに)任せようという励ましの言葉である。
今日は苦しく悩ましいとしても、明日になれば、またきっと今日とは違った状況(風)になるものだから
そんなに不安に苛まれて思い悩むことなく、成り行きにまかせてみてもいいんじゃないか?
なるようにしかならないさ!という開き直りの意味でも使えるし
なんてついてないんだ、不運なんだ!という不遇の身を慰めつつ、明日に期待するという意味でも使える。
明日は明日の風が吹くの出典は?
「明日は明日の風が吹く」って誰が言ったの?
『風とともに去りぬ』のラストシーンのセリフとしてのイメージも強いが・・・
「明日は明日の風が吹く」という言葉の出典(原典)は『風とともに去りぬ』ではなく、
河竹黙阿弥という幕末〜明治期に活躍した歌舞伎の脚本家の作品
「上総木綿小紋単地(かずさもめんこもんのひとえじ)」が出典となる。
ちなみに、『風とともに去りぬ』で主人公スカーレット・オハラの最後のセリフの原語(英語)は
『Tomorrow is another day』
であり、これを「明日は明日の風が吹く」と日本語訳したわけですね。
マーガレット・ミッチェルによる長編小説『風とともに去りぬ』がアメリカで発刊されたのが1936年(昭和11年)
日本で翻訳され、出版されたのが1938年(昭和13年)です。
河竹黙阿弥が活躍したのは幕末から明治期なので
その頃には、河竹黙阿弥の発した「明日は明日の風が吹く」という言葉はすでに日本の日常に慣用句として浸透していたということでしょう。Tomorrow is another dayを「明日は明日の風が吹く」と訳したのは名訳ですね。
明日は明日の風が吹くに類似した表現、言い回し
- 「明日のことは明日案じよ」
- 「明日は明日の神様が守る」
- 「明日のために心配するな、明日は明日が自分で心配する。1日の苦労は1日で足りる(新訳聖書・マタイ伝)」
河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)とはどんな人物?
河竹黙阿弥とは幕末・明治期の歌舞伎狂言作者(歌舞伎脚本家)
1816年江戸で誕生〜1893年東京で没(享年76歳)
河竹黙阿弥の本名は吉村芳三郎(よしむらよしさぶろう)
別名:古河黙阿弥、勝諺蔵(かつげんぞう)・柴(斯波)晋助、2世河竹新七
俳名:其水(そすい)、芳芳
引退披露後に河竹黙阿弥となる
河竹黙阿弥は江戸・日本橋にある裕福な商人家庭の次男として生まれる
幼き頃から本好きで読書家、若くして読本、芝居の台本を読みふけり
川柳や狂歌(滑稽で皮肉をふくむ卑俗な短歌)の創作にふけり、道楽が過ぎるということで親から14歳で勘当されてしまう
貸本屋で働きだすが、仕事そっちのけで読書三昧の日々・・・しかしやがて狂歌や俳句で頭角をあらわした
1835年には仕事を辞め、歌舞伎作者5世(5代目)鶴屋南北の門下となり、
勝諺蔵(かつげんぞう)
↓
芝(斯波)晋助(しばしんすけ)を経て
↓
2代目河竹新七(かわたけしんしち)を襲名し立作者(たてさくしゃ;座付狂言作者中の筆頭)となった。
歌舞伎狂言作品では特に白波物の傑作が多く、江戸演劇の集大成者といわれる。
時代物、活歴物、散切物、松羽目物など新傾向の作品を書き
その作品は360編あまりにもなる。
1881年に引退を宣言し引退披露の後に黙阿弥と改名した。
黙阿弥に関連する作品
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