オーストラリアの領土に属する知られざる国(地域)ってどんなところ?世界に国はいくつあるのか?国連に加盟している国は193カ国だけども、実は世界にはそれ以外にも国として独立できずに別の国に属している国や地域が50以上もある!?調べれば調べるほど謎が深まり興味が出てきたので色々調べてみたオーストラリア領編。
こちらの記事もどうぞ↓
【国の数とは?】世界にある国の数と日本が認める国の数が違う!?国連非加盟国リスト
この国知ってる?国連に加盟していないアメリカ(米国)領の国々【国連非加盟国】
目次
オーストラリアに所属している国や地域にはどんなのがある?
このページではオーストラリアの領土なっている次の5つの島や地域についての歴史や背景について
- クリスマス島 Christmas Island(クリスマスアイランド)
- ココス(キーリング)諸島 Cocos (Keeling) Islands”
- コーラル・シー諸島 (珊瑚海諸島)Coral Sea Islands
- ノーフォーク島 Norfolk Island
- ハード・マクドナルド諸島 Heard and McDonald Islands
クリスマスアイランド(クリスマス島)ってどんなところ?
クリスマス島Christmas Island(クリスマスアイランド)の場所は
インド洋上、西オーストラリアのパースから二千キロ以上離れた、
インドネシアのジャカルタの南500kmほどのところにある南の島
クリスマス島の首都(主都)はフライング・フィッシュ・コーブ(セトルメント)
クリスマス島の公用語は英語だが、福建語や広東語などの中華系言語、 クリスマス島の通貨はAUD(オーストラリアドル) クリスマス島の人口は約2000人(2011年調べ) |
クリスマス島(クリスマスアイランド)の歴史と近況
クリスマス島を発見した人は不明だが、17世紀のイギリスやオランダの海図に表記がある。
19世紀にココス諸島からの移住者が最初の居住者と考えられる。
1888年英国領に編入。
第二次世界大戦中には日本からの標的とされ、クリスマス島は1942年に日本軍によって占領された。
クリスマス島には多くのリン鉱石があり、日本はリン鉱資源の採掘を目論んだが、
労働者のサボタージュにあい、さらに米軍からの攻撃で輸送用の船が撃沈され
1943年に日本軍はクリスマス島から撤退した。
サボタージュとは、労働者が団結して仕事や作業の能率をわざと落とし、 雇い主側に損害を与えることで争議の解決を迫ること。サボること。 |
第二次世界大戦終結後の1945年にシンガポール植民地管轄下に編入、
しかし、実効主権はオーストラリアに譲り渡した(委譲)
1958年10月1日よりオーストラリアの領地になった。
リン鉱資源は減少し、新たな採掘は現在中止されている。
クリスマス島の経済発展や雇用創出を目的に、カジノリゾート施設を1993年に設立し、
オーストラリア本土や近隣の東南アジアからの集客を期待したが、このカジノリゾート計画は失敗し閉鎖となった。
オーストラリア領内の非自治領であるため、州レベルの自治体はなく、
オーストラリア政府が交通地域省を通じて行政サービスは西オーストラリア州によって提供されている。
固有種のクリスマスアカガニというアカガニが産卵期(繁殖期)に
島を埋め尽くすほどの大移動をすることが島の名物となっている。
ココス(キーリング)諸島 Cocos (Keeling) Islandsとはどんなところ?
ココス諸島(キーリング)諸島Cocos (Keeling) Islands”がある場所は
インド洋 西オーストラリアのパースから2750km
オーストラリアとスリランカの中間地点にあるココヤシが生い茂る島々
※グアムの隠れ家的絶景の島ココスアイランドとは違う島ですよ!!
ココス(キーリング)諸島の標語:スローガンは
Maju pulu kita(ココス・マレー語)で『われらの発展する島』
|
間違って領土宣言された!?ココス諸島(キーリング諸島)の歴史と近況
17世紀初頭に東インド会社の船の船長により発見。
発見者の名前がウィリアム・キーリング。
ココス島というのはココヤシが茂る無人島であったことに由来している。
イギリス人のヘアとロスが最初期に島に住み始めたが、
後からやってきたロスがヘアを追い出して以降、ロスが個人で統治する島の領主となった。
1857年にココス諸島は英国領と宣言されたが…実はこの領有の宣言は
別の島のココ諸島(現ミャンマー領)と名前が似ていたために間違って宣言されたものである。
名前の取違いによって英国の領有と宣言されたが、ココス島の領主であるロス家はあえてこの間違いを取り消さずに
英国領に入ることで外国船からの侵犯から軍事的に守ってもらうことを望んだ。
1886年までロス家一族による島の統治は続いたが、
ココス島の帰属がシンガポールに変更された時に、ロス家の権利は「永久所有権」となった。
1955年にココス島の帰属がオーストラリア領に変更
され、
島名の取違いがおきないように『Cocos (Keeling) Islands』が正式名称となった。
永久所有権を持つロス家は、ココス諸島の独立を望んだが、オーストラリア政府側は拒否。
ロス家5代による150年にわたる専制支配の終了を求めた。
1978年にはロス家5代目当主はココス諸島を625万オーストラリアドルでオーストラリア政府に売却。
1979年には正式にオーストラリア領となった。
1984年にココス(キーリング)諸島の住民はオーストラリア国民となった。
その2年後の1986年にロス家は破産し、島に残っていた屋敷まで売却しオーストラリア本土へ移住した。
ココス島全体で栽培するココナッツの輸出や小規模な観光産業がある。
生活必需品やその他の食品はオーストラリア本土からの輸出に頼っている。
興味深い”ココス島”に関する本『ココス島奇譚』
ノーフォーク島Norfolk Island (ノーフォークアイランド)ってどんなとこ?
オーストラリア領ノーフォーク諸島がある場所は
太平洋オーストラリアの東、ニューカレドニア、ニュージランドの中間に位置する
|
バウンティ号反乱の末裔が住む島ノーフォークの歴史と近況
12世紀に東ポリネシア系の人々が居住していたと考えられるが
18世紀にジェームズ・クックによって発見された時にはすでに無人島となっていた。
英国のノーフォーク公爵の名をとってノーフォーク島と名付けられた。
1788年から、英国の流刑植民地として開墾を進められたが、島の資源は乏しかったために
植民地としては有望視されておらず、島民は一時期1000人を超えたが、次第に減少し1814年には放棄された。
その後しばらく1856年頃まで流刑地としていたが、オーストラリア本土が流刑地ではなくなった頃、
ピトケアン島に住んでいたバウンティ号事件の反乱者の子孫たちがノーフォーク島に移り住んだ。
1913年にオーストラリア連邦政府管理の特別地域になった。
第二次世界大戦終了後には、オーストラリア本土からノーフォーク島への移民が増加。
1979年にノーフォーク島法のもと、ノーフォーク島立法評議会が設立された。
島の住民は独自性を尊重するよう主張した。
1991年にオーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州の一部に組み込まれることが提案されたが、
ノーフォーク島立法評議会はこれを拒否した。
しかし2015年ノーフォーク島立法評議会の廃止が採決され
2016年にはノーフォーク独自の自治法は廃止となった。
現在でもノーフォーク島の住民の7割近くがオーストラリア政府の決定に反発しており、島独自の自治を求めている。
一部の島民はオーストラリアからの独立を主張している。
ノーフォーク島の有力者はオーストラリアよりむしろニュージーランドの領土になった方が良いなどの主張しているものもいる。
ノーフォーク島の経済を支えるのが観光業がメインであり、生活水準は高く、人口も増加傾向にあるが島は深刻な財政難である。
ノーフォク島自治政府が廃止された現在はオーストラリア政府によって経済管理されている
何度も映画化もされている『バウンティ号の反乱』についてはこちらの本がおすすめ
コーラル・シー諸島 (珊瑚海諸島)Coral Sea Islandsとは?
日本語で珊瑚海と呼ばれるオーストラリア領コーラルシー諸島がある場所は
オセアニア オーストラリアク・イーンズランド州の北東
の珊瑚海にある。
グレートバリアリーフの端っこにある
砂地とサンゴ礁、洞窟などの島々のことをさす。
|
コーラルシーの歴史と近況
1803年に発見されたと考えられる。
1870年代、80年代に開発を試みるが島には真水(淡水資源)がないために断念。
1969年にオーストアラリアの領土と宣言
された。
ウイリス島の気象観測所に住む気象学者たちを除いて無人である。
自動気象観測所、ビーコン、灯台などのデータは本土へ中継される。
海鳥やウミガメの貴重な繁殖地であるために自然保護区となっている。
ハード・マクドナルド諸島 Heard and McDonald Islands はどんなとこ?
ハード島とマクドナルド諸島がある場所はインド洋の島々、マダガスカルから南極に向かう3分の2地点にある
|
ハード・マクドナルド諸島の歴史と近況
19世紀に発見されたと考えられている。
発見者ジョン・ハードの名前からハード島と名付けられる。
諸島の発見はウイリアム・マクドナルドの名からつけられマクドナルド諸島とされた
1880年まではアメリカ人がアザラシ脂を取るために住み着いていた。
1947年に不毛の島々であるとしてオーストラリアに委譲された。
ハード島にある
火山のモーソンピークがオーストラリアの最高峰(2745m)
である。
休火山だったが、1992年に休眠から目覚め、マクドナルド島の火山活動を再開し、噴火した。
2005年にも数度噴火している活火山 である。
無人であるため
島々固有の経済活動はないが、周辺海域での限定漁業が行われている。
稀に地理・海洋研究目的での訪問がある
他は環境保護のために厳正に保護管理されている。
ハード島とマクドナルド諸島は世界自然遺産に登録されている。
今がわかる時代がわかる 世界地図 2019年版 (SEIBIDO MOOK)
こちらの記事も合わせてどうぞ↓