ノルウェーといえば北ヨーロッパ、村上春樹の『ノルウェイの森』北欧の国、北極圏に近いイメージ。それは間違っていないが、実は地球上でもっとも孤絶された場所にある島、しかも南極側にある島もノルウェーの領土だったりする。『世界にある国の数はいくつあるの?』「国連非加盟の国ってどのくらいあるの?」と気になり、調べていたら世界にある国連非加盟の(地域)で気になるノルウェーの属領でありながらビザなしで渡航できる地域なんかもあって面白い。世界で一番遠い場所にあるノルウェーとは!?
目次
北欧にあるノルウェー本土だけがノルウェー領じゃない
英語ではKingdom of Norway(キングダム・オブ・ノルウェイ)、日本語でノルウェー王国だが
正式名称はノルウェー語の公用語の一つブークモール語ではNorge ノルゲと聞こえる発音
ノルウェーといえば、スカンジナビア半島の左側、フィンランド、スウェーデンと並んだ北欧の国というイメージがが
実は北欧にある、ノルウェー本土の他に、ノルウェー王国の領土である飛び地、海外領土があることをご存知だろうか?
しかも、その北欧のノルウェーという国の領土が、南半球の南極サイドにもあるということはあまり知られていない
そんなノルウェー王国の領土になっている、3つの地域について
- スヴァールバル諸島 ビザなしで誰でも住めるノルウェー!?
- ヤンマイエン島 不毛の火山の島には誰が住んでいる!?
- ブーベ島 到達はもはや不可能!?絶海の孤島の島
スバールバル諸島ってノルウェーなのにビザなしで住める?
Svalbard (スヴァールバル)スバールバル諸島がある場所は北極圏
スヴァールバルは 北極海、バレンツ海、グリーンランド海、ノルウェー北部のノルウェー海上にある群島である。
スヴァールバル諸島はノルウェーの領土の一部だが、スヴァールバル条約によって
極地科学研究の世界的拠点の数々が置かれている。
|
スヴァールバル諸島の歴史と近況
12世紀 ノルウェー人が最初に発見したとされる
1596年 オランダ人によって発見 尖った山々という意味の『Spitsbergen(スピッツベルゲン)』と命名された。
1610年 捕鯨時代 イギリス人捕鯨家がクジラが豊富であることを報告、オランダ、フランス、デンマークが捕鯨隊を送り
スヴァールヴァルにホッキョククジラから鯨油(くじらあぶら)を作る工場が設置された。
1663年 オランダとフランスが捕鯨の権利を争って海戦に突入。
捕鯨時代には他にドイツ、ベルギーノルウェー、スウェーデンなども捕鯨隊を送っている。
1896年 科学者たちがスピッツベルゲン島を横断し内陸部を初めて調査した。
同君連合というノルウェーとスウェーデンが連合国家だった時代には
スウェーデン側が積極的にスバールバルの主権を主張したが、スウェーデンは北極海に面していないため
ノルウェーを介してスヴァールバルの領有を主張したが、ノルウェー政府は消極的であった。
(ノルウェーはスヴァールバル島の実効支配には金がかかるのと、他国と領土権で揉めたくなかった)
1905年 ノルウエーが独立し、スヴァールバル諸島の領有権に関して、スウェーデンは反対した。
20世紀に入ると、
石炭採掘のために、米国、英国をはじめとしてスウェーデン、ノルウェーなど
各国の石炭会社がスヴァールバルに進出し、利権や労働環境をめぐって争いが起きたために法整備が求められるようになる
1920年 国際的にノルウェーの主権が認められた
(スヴァールバル条約)
1925年 正式にノルウェーの領土となる
。非武装地帯
となった。
スヴァールバル条約によって、スバールバルの主権、領土はノルウェーのものである。として承認されたが、
日本を含む条約締結国はSvalbard(スヴァールバル)諸島においては自由に経済活動をすることが可能となった。
日本人も勝手に住み着ける?北極圏の高学歴高所得の島!?
スバールバルの主要収入は石炭採掘、観光、国際研究によるものである。
経済を支えるのは石炭採掘で、実質的にはノルウェー国有石炭会社の町である。
スヴァールバルは炭鉱の町であり男社会である。
世界的な極地研究の研究施設があるためノルウェー本土よりも比較的高学歴の人の割合が高い。
さらに炭鉱職員の給料は高いので高所得者の人口も多く、さらには免税地であるため
ノルウェー本土に比べ、酒やたばこ、車など諸税の課税割合が非常に安いという一見非常に好条件の地域だが、
平均居住年数が6年半と非常に短いスパンで住民が入れ替わっている。
スヴァールヴァル条約ができた時に日本も条約を締結している。
なので日本の国籍を持っている日本人であれば、スバールバルで自由に経済活動が行うことができる。
スヴァールバルは
北欧ノルウェー王国のれっきとした領土でありながら、ビザや滞在期間を問われることもなく
私たち日本人が勝手に住み着いて経済活動を行うことも可能な地域である。
世界滅亡危機を救う『ノアの箱舟』がスヴァールバルに存在する!?
スヴァールバルには『世界種子貯蔵庫』といわれる世界中(地球上)の全ての種子を保存する世界最大の種子貯蔵庫がある。
この種子貯蔵庫ははあらゆる危機にに耐えうるように設計されていて
現代版の『ノアの箱舟』とも呼ばれ
ノルウェー政府は『種子の箱舟計画』の名称で世界各国100カ国以上の支援を集めた。
スヴァールバル世界種子貯蔵庫は終末の日に備えて、なんとビル・ゲイツの主導のもとに設置されたものである。
スヴァールバル世界種子貯蔵庫の 目的は?
今後起こりうる、ありとあらゆる種類の事象、気候変動、自然災害、病気の蔓延、核戦争などによって
農作物の種が絶滅してしまうことを防ぐことである。もし万が一、壊滅的被害(地域的な絶滅)を受けた際にも
種を保存(保護)しておくことで栽培の再開の機会を提供することである。
ヤン・マイエンは草木も生えない不毛の火山島
Jan Mayen (ヤンマイエン)がある場所は北欧アイスランド北東、グリーンランド海とノルウェー海の間の島である。
|
ヤンマイエンの歴史と近況
17世紀はじめころに発見されたと考えられられるが諸説あり。
1614年 オランダの捕鯨船の船長により発見されたと考えられている
船長の名をとってヤンマイエン島と命名
1615年からオランダの捕鯨会社によって捕鯨基地として開発
1638年まで鯨の乱獲を繰り返したたために、この海域の北極クジラはほぼ全滅したとされ、
捕鯨基地としてヤンマイエン島は放棄され200年以上の間は無人島となった
1882年から1年間オーストリア・ハンガリー帝国の探検隊が島に滞在し、島の測量、島の地図を製作した。
1900年〜1920年ノルウェーの猟師が島に住み、ホッキョクグマの狩猟を行っていた
1920年に国連はノルウェーに管轄権を託した。
1921年にノルウェーによって建設された気象観測所は第二次世界大戦中に破壊された。
1930年 ヤンマイエン島は正式にノルウェー王国の一部となった
第二次世界大戦終戦後、1949年に気象観測所が再度設置され、ラジオの基地局が置かれ、北極海の船舶交通の重要なラジオ局となった
ヤンマイエン島には滑走路があり空軍の輸送機によりアクセスできる。
ノルウェー軍の職員とノルウェー気象局の局員が駐在するのみであり冬季は18人が滞在している。
ヤンマイエンの周辺水域には潜在的な石油資源があると考えられている
石油資源の行方―石油資源はあとどれくらいあるのか (シリーズ 21世紀のエネルギー)
ブーベ島 地球上、最も遠いリアル絶海の孤島はどんなとこ?
(ノルウェー領)Bouvet Island ブーベ・アイランド
ノルウェー語でBouvetøya、日本語で『ブーベ島』と呼ばれるこの島は
北欧の国ノルウェー王国の正式な領土でありながら南半球、南大西洋にある火山島である。
南アフリカのケープタウンにある喜望峰から南南西2500km
南極大陸から1600kmの距離にあるリアル
絶海の孤島がノルウェーの属領”ブーベ島”である。
|
ブーベ島の歴史と近況
1739年 フランス東インド会社の船によって発見
されたと考えられる。
発見者フランス海軍将校ブーヴェによって『ブーヴェ島』と命名されたが、
この時点では、ブーベが島か大陸の一部かはわからなかった
1772年 ジェームズ・クック(クック船長)がブーベ島の発見に乗り出すが、
ブーヴェによる計測が間違っていたためみつけられなかった。
1808年 英国の捕鯨会社のリンゼイ船長によって再発見されたが、
しかし、当時の計測技術では最初のブーヴェの発見した島とリンゼイが発見した島が同じものであるかは分らなかった。
1825年 英国の捕鯨船がまた再び発見、上陸しこの島をリバプール島と命名し、英国領と宣言したが
この時には、すでに発見済みの島であることがわかっていなかった。
1927年 すでに英国領と宣言されていたものの、ブーべ島はいずれの実効支配が及んでいない地域であり、
主がいない土地のためノルウェーの捕鯨船の乗組員が上陸し小屋を建て生活をしはじめた。
これが先占(人より先に占有すること)の実績としてノルウェー領と主張された。
1928年 イギリスはブーベの請求権を放棄したため、ブーベはノルウェー領に編入
1930年 正式にノルウェーの属領となった。
絶海の孤島のため誰にもバレずに核実験がおこなわれた島!?
1971年 ブーベ島全体および領海はノルウェー王国令によって自然保護区とされた。
一時期、南アフリカによって気象観測拠点としての開発が計画されるも現地の極限の気象条件により断念された
ため
完全なる無人島であり、ペンギン類や海鳥、アザラシ類が生息している。
1977年 ノルウェーが無人気象観測拠点を設置
1994年 極地研究の拠点として38㎥のコンテナ製のフィールドステーションを建設したが、
この時建設されたフェイールドステーションは氷の地滑りによって流されて消失したと考えられている。
完全なる極限の無人島であるブーベ島はなぜか単独の国コードを持っているために
国に準ずる地域と認識される場合もあるが、
ノルウェー王国の一部ではない。
ノルウェイの極地局(省)によって管轄されている
、ノルウェー王国の属領という地位である。
ブーベ島は極限の気候条件によって暴風、氷河に覆われているため
コケ類以外の植物(樹木など)は生育不可能とされる不毛の絶海の孤島である。
ブーベ島はPIA(Pole of inaccessibility)の一つである。
日本語で『
到達不能極』『到達困難極』、到達することが極めて困難な地点(物理的には到達可能)
ブーベ島は世界で最も、隣の陸地と遠い島である。
このことから
、1979年に、この海域で爆発と放射性物質が観測されたため
核実験が行われたとみられているがどこの国が核実験をしたかは不明とされている。(おそらく南アフリカといわれている)
こちらの記事もどうぞ↓